
2002年に見た映画・その1
「サイン」(2002.10.03)
「ロード・トゥ・パーディション」(2002.10.15)
「トリック」(2002.11.12)
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(2002.12.09)
「マイノリティ・リポート」(2002.12.26)
「レッドドラゴン」(2003.02.13)
「LORD OF THE RINGS〜THE TWO
TOWERS」(2003.03.02)
「戦場のピアニスト」(2003.03.03)
「007/ダイ・アナザー・デイ」(2003.03.19)
「ネメシス S.T.X」(2003.04.14)
「シカゴ」(2003.05.08)
「X-MEN2」(2003.05.13)
2002年09月までの映画評
2002年05月までの映画評
2001年12月末までの映画評
2001年11月11日までの映画評
2001年8月までの映画評
2001年3月までの映画評
(オススメ度を押忍単位で図っています。最高5押忍)
「X-MEN2」(5押忍)
人気アメリカンコミックス「X-MEN」を映画化したパート2。パート1よりはるかに面白い。スケールがアップ、ドラマもグンと進展した。パート3への期待を大いに抱かせる作品で、文句なしの5押忍。ただ、「ミュータント」という設定にスッと入っていけない人にはあまり面白くないかも。
ある日、ホワイトハウスに正体不明のミュータントが侵入。ミュータントは壁を通り抜けて大統領室に侵入し、大統領を殺そうとした。しかし、間一髪でボディガードがミュータントを銃撃し、大統領は一命を取り留める。大統領の側近ストライカー大佐は、これを機にミュータントの撲滅を大統領に進言。大統領のゴーサインも出ないうちに、エグゼビア教授が主催する「恵まれし子供たちの学園」を襲撃する。その夜は教授とサイクロプスが外出、ストームとジーンが大統領を襲ったミュータント「ナイトクロウラー」を探索に出ていたが、たまたま学園に戻っていたウルヴァリンの奮闘で、なんとか多くの生徒が逃げおおせることができた。
一方その頃、教授とサイクロプスは大統領襲撃事件の情報を得るために、前作で逮捕されたマグニートーと面会していた。ところがそこへストライカー大佐の部下デスストライクが現れて、教授とサイクロプスは捕まってしまう。その直後、ミスティークの手引きでマグニートーも牢獄を脱出してしまった。
ストライカーは教授が世界のミュータントを探索するために使っている装置「セレブロ」を手に入れようとしていた。ミュータントに深い憎悪を抱くストライカーは、セレブロを使って全ミュータントの抹殺を狙っていたのだ。ウルヴァリン一行は、ナイトクロウラーを保護したジーン、ストームと合流。途中、マグニートーともやむをえず共闘することになり、教授の救助に向かうのだが・・・。
と、まあこんなストーリー。今回はウルヴァリンがアダマンチウムを埋め込まれた記憶を取り戻すエピソードを中心に、ジーン、サイクロプス、ウルヴァリンの3角関係、ローグ、アイスマンといった新世代のX-MENの活躍などが描かれる。各キャラクターの紹介に始まり、複雑な性格を持つマグニートー・オン・ステージ!といった趣だったパート1に比べて、今回はかなりキャラクター同士の関係や、迫害される立場にあるミュータントの姿をつっこんで描いている。もともとX-MENの面白さというのは、その特殊性ゆえに人間から迫害を受けるミュータントの苦悩が描かれているところにあるが、今回はその色合いが濃い。ミュータントの中にもエグゼビアのような平和主義者もいれば、マグニートーのような武闘派もいる。人間側にもストライカーという血も涙もない、まさに「人間でない」ようなキャラクターもいて、こういう「善と悪のあいまいさ」がドラマとしての面白さを際立たせている。2時間ちょいある映画だが、テンポの悪さを感じないし、キャラクターがたくさん出てくる割には、エピソードごとのつながりが自然で、一気に見せる力がある。
出演者たちも。1作目に比べて今回の方が伸び伸びとやっているように思える。今やハリウッドの一員となったヒュー・ジャックマンは1作目以上にワイルドさを増しているし、オスカー女優にまで出世してしまったハル・ベリーも最大のヤマ場を任されている。ローグ役のアンナ・パキンもいい。ローグは1作目ではまだ自分の力を制御できず、周囲の環境の変化に戸惑ってオタオタしているだけだったが、今回は自分の能力を受け入れて、危うさを残しながらも少し自信を付けている。そういう部分をきちんと表現していてよかった。イアン・マッケランとパトリック・スチュワートのベテラン2人の存在感はいうまでもない。マグニートーがイアン・マッケラン?!と1作目では違和感バリバリに感じたのだが、もう今回は慣れた。慣れはしたが、今でもマグニートーはアーノルド・シュワルツェネガーみたいなもっとデカい人がよかったな・・・と思わなくもない。サイクロプス役も、せめてヒュー・ジャックマンよりも10センチ以上背の高い人がよかったな、と思わなくもない。まあいいか。それにしてもサイクロプス、影が薄いな。
ちなみに原作ファンとしては、コロッサスがチョイ役で出ていたのにニヤリ。原作では中心人物の1人として登場するが、この姿を見ると、あまりたびたび登場できないな(CGユニットがえらく苦労しそうだ)とは思う。アイスマンがおなじみのあの姿でないことも、同じ理由だろう。原作では、あっけらかんとした少年のアイスマンが、恋や家族関係に悩む姿は新鮮だ。年齢的に、こういうキャラクターがピッタリはまっていてよかった。
どうもパンフで「X-MENサーガ」という言葉を使い始めているし、ブライアン・シンガーが1作目を撮ったあと原作を読んで大ファンになったらしいので、このあとも続編が作られるだろう。ちなみに今回も、パート3への含みをたっぷりと持たせてお話は終わる。アクション、ドラマ、SFX、音楽とどれを撮っても見ごたえがあり、原作を読んだことがなくても楽しめると思う。パート1を見てこの世界観になじめなかった人にはお勧めしないが、そこそこなじめて楽しめた人は、パート1よりも絶対に面白いからぜひとも映画館に足を運んでいただきたい。
「シカゴ」(5押忍)
ミュージカルの神様ボブ・フォッシーが演出して大人気作品になったミュージカル「シカゴ」の映画化。今年のアカデミー賞を作品賞など6部門、ゴールデングローブ賞を作品賞など3部門と総なめしただけはある。とにかく面白い。こういうのが、本当の娯楽作というのだ!と右手を力強く握って立ち上がりたくなる。文句なしの5押忍。
ロキシー(レニー・ゼルウィガー)は舞台のスターにあこがれる、しがない主婦。愛人のケイスリーに「クラブのマネーシャーに売り込んでやる」といわれて有頂天になるが、それが嘘と知って、衝動的にケイスリーを撃ち殺してしまう。刑務所に送られたロキシーは、そこであこがれのダンサー、ヴェルマ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)に会う。ヴェルマは妹と2人組のダンサーとして人気者になっていたが、夫が妹と浮気した現場に鉢合わせして、衝動的に妹と夫を射殺、刑務所に入れられていたのだ。ロキシーは夫をうまく言いくるめ、女囚を必ず無罪にすると評判の悪徳弁護士ビリー(リチャード・ギア)を雇う。ヴェルマの弁護をしていたビリーだが、ロキシーの方が金になると踏んでロキシーに乗り換えた。マスコミを使ってロキシーを「世界一チャーミングな殺人者」として売り出し、世間の同情を引くことに成功する。思わぬ形で有名人になり浮かれるロキシー。そしてついに、公判の日が訪れた・・・。
まあとにかくテンポがよろしい。スピーディーかつダイナミックなヴェルマの舞台から映画はスタート。これで一気に作中に引き込まれてしまう。主要人物3人の妄想が始まると、ミュージカルシーンに切り替わるのは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の手法と同じ。このテンポが非常にいい。けばけばしいまでのミュージカルシーンと、色彩を抑えた現実シーンの対比がメリハリが効いてて飽きない。キャサリン・ゼタ=ジョーンズって、オリエンタルな雰囲気がウリなだけのただのセクシー女優と思っていたが、この映画で評価が著しく変わった。歌もうまいし、ダンスも(か・な・り!)うまい。パンフで「ハリウッドには歌って踊れる女優なんてたくさんいる」と謙遜しているが、それでもこの歌とダンスはすごい。この役のために相当なレッスンを積んだのだろう。いわゆる「女優魂」を見せられた感じだ。オープニングも良かったが、ロキシーと「手を組まないか」ともちかけて踊るシーンもコミカルでよかった。リチャード・ギアは相変わらず芸達者。ロキシー役のレニー・ゼルウィガーってあまり記憶にないんだけど、微妙なブス加減がいい。ときどき、見る方向や表情によってとても可愛らしく見えるんだが、それ以外のときはどう見てもオバチャンに見える。まあこのギャップが、しがない主婦のロキシーと、舞台のスターを夢見るロキシーを演じ分けられる「ツボ」なのだろう。序盤の少しマリリン・モンローをほうふつとさせる歌声やセクシーなダンスもグッド。
なによりもこの映画がいいのは、人間ドラマとしてもとてもデキがいいというところ。ロキシーもヴェルマもビリーも相当な野心家で、自分の欲望を満たすためには、少々あくどい手を使うこともいとわない。はっきりいって、3人とも悪人だ。ビリーは最後までうまく世間の波に乗って幕から姿を消すが、成り上がり、突き落とされ、それでもはい上がろうとするロキシーとヴェルマのたくましさには思わずニヤリとする。人間の本質的な部分というか、いかにもむき出しの人間を書いているあたりが素敵だ。また、それがまったく嫌みになっていない。「もしも自分でもロキシーやヴェルマのようにするだろう」と思わせるのがいいんだろう。惜しむべくは、ヴェルマが「それが邪魔にならない仕事よ」といったところで終わって欲しかった。ラストは妄想にしてほしかった。というか、個人的には妄想シーンだと思いたい。ハッピーエンドのドラマなので、ラストはああせざるを得ないとは思うが、「ああ、人間ってたくましいな」と思わせて終わって欲しかった。それが、映画としてのいい終わり方だと思う。
生きていくにはたくましさが必要だという部分に共感できない人は、あまり面白くないかも。子供とか。30歳以上の女性にはバッチリ受けそうだが。とはいえ、ミュージカルシーンのゴージャスさ、ドラマとしての面白さは、ここ数年で見た映画のなかでは間違いなくベスト3くらいに入る。お色気も十分で、大人なアナタにお進めしたい一大エンターテイメント。ぜひとも映画館で1920年代のわい雑でいて、それでいてパワフルな空気を感じていただきたい。
「ネメシス S.T.X」(1押忍 ネタばれあり!)
うーん、これでは・・・。新スタートレックの映画版では、もっとも面白くないんじゃないか?しかも、おそらくこれで新スタートレックの映画版は最終回の様子。この終わり方もありだとは思うが、しかし、このつまらなさではなあ・・・。
トロイとライカーがようやく結婚した。2人の結婚式を挙げるために、ベタゾイドに向かうピカード艦長を始めとするエンタープライズ号の一行。その途中、ある惑星でバラバラになったサイボーグを発見する。艦に持ち帰って組み立ててみると、それはデータのプロトタイプだった。自分のように向上心を持たせようとするデータだが、プロトタイプの神経構造が単純すぎて、向上心を植え付けることはできなかった。そんな折り、ロミュランで政権交代があったとの情報を受け、一行はロミュランへと向かう。そこで待っていたのは、若いころのピカードにそっくりなシンゾンという司令官だった。シンゾンはロミュランと惑星連邦との和睦を申し出る。しかし、強力な宇宙戦艦を保持するシンゾンを、ピカードは信用することができない。
実はシンゾンは、ロミュランが作ったピカードのクローンだった。シンゾンがそれなりの年齢に成長したら惑星連邦に送り込み、スパイとして使うつもりだったのだ。しかし、その計画が政権交代のために頓挫、シンゾンはロミュランの奴隷星レムスで過酷な少年時代を過ごしていた。「自分の存在意義のためにピカードを殺し、地球を破壊する」という野望に取りつかれたシンゾンは、レムス人を味方に付け、ロミュランで反乱を起こして司令官の座についていたのだ。シンゾンの作った強力な宇宙戦艦に対抗すべく、エンタープライズは惑星連邦の戦艦を集合させることにする。集合地点へと急ぐエンタープライズだが、シンゾンの宇宙戦艦が猛烈な勢いで追跡を始めていた!
果たしてピカードはシンゾンの野望を打ち砕くことができるのか!
とまあ、こんな話。新スタートレックのおもしろさといえば、ギリギリのとこまで追いつめられるドキドキ感と、2つのストーリーが並行して展開するドラマの妙であろう。ところが、今回はこれが二つともない。確かにシンゾンの戦艦が強力な放射線砲を搭載していて、これの発射を阻止するというシーンがあるのだが(そしてここでデータが木っ端みじんに破壊されてしまう!のだが)、ドキドキ感には著しく欠ける。また、2つのストーリーはない。今回はストーリーは1本仕立てだ。しかも、シンゾンが単に追っかけて来るだけで、最後のどんでん返しもなにもない。
で、どこが見どころなのか?となると、まず1つめはピカードが自分自身と対決するということだろう。クローンのシンゾンは奴隷として扱われ、憎悪に凝り固まった人間に成長している。自分もこうなる可能性があったのかもしれない・・・と思いながら、ピカードは若き日の自分自身と戦うわけだが、すべてにおいてピカードの方が一枚も二枚も上手なのだ。ピカードが圧倒的に「年の功」を見せつけてしまう。だからこれはあまり面白くない。
2つめはシンゾンの戦艦と、エンタープライズ号の戦艦バトルだろう。この映画の広告かなんかで「宇宙最大の艦隊戦が始まる!」とかいうのがあったと思うのだが、艦隊戦はない。戦艦対エンタープライズの戦いである。ところがこれも、大して面白くない。エンタープライズがシンゾンの巨大戦艦に特攻をかけたりするのだが、迫力がいまいちである。これなら「ファーストコンタクト」の不時着シーンの方がよかった。
というわけで、ストーリーとか、映像面とか、見るべきところがないのだ。トレックファンとしても面白くないわけだ。もうどうしたらいいのか。データは宇宙のチリとなってしまうし、これでは次回作「データ少佐を探せ!」は作れないでしょう。というか、もうデータとか、トロイとか、ライカーとかみんな年をとりすぎて、エンタープライズのファミリーとしてやっていくには少々、苦しいと思った。歴戦の勇者ピカードの隣に、若くて精力に満ちあふれたライカーがいたから絵になったわけで、これがもう太ったオッサンになってしまったライカーでは厳しい。同じくエンタープライズのセックスシンボルだったトロイも、こう老けられてはしんどい。この作品でライカーはいよいよ艦長に昇格し、エンタープライズを去ることになるが、それは正解だと思う。同じように、若くて無邪気なデータがラフォージを相手にあれこれ根掘り葉掘り聞くから面白かったのであって、老けてちょっと貫録も出てきたデータでは、ちと厳しいものがある。
もうこれで新スタートレックの映画版は終わりにしてもいいだろう。まだまだジャン=リュックの活躍を見てみたい気もするが、彼の冒険が魅力的に見えるのは、やはり彼のクルーがいるからであって、ピカードが1人で奮起しても、あまり楽しく見ていられないようにも思う。しかし、新スタートレック映画版最終回、こんなにつまらなくては、もう夜も寝られないのである。「ジェネレーションズ」と「ファーストコンタクト」のDVDを買って、お口直しをしなければならないのだ。
「007/ダイ・アナザー・デイ」(5押忍)
007シリーズ40周年記念作。しかも切りのいい20作目。まあ、そんなことはどうでもよろしい。記憶にあるかぎり、私が映画館で「007」を見たのは初めてだ。いや、テレビでもほとんど見たことがないと思う。そのくせ、007のパロディである「オースティンパワーズ」は全部見ているのだから、変な話だ。そんなこともどうでもよろしい。ちなみになぜこれまで007を見ていないかというと、動機がなかったから。「ワールド・イズ・ノット・イナフ」の予告編も、へえ、面白そう・・・と思って見ていたのだが、それ以上の気持ちになれなかったわけで。同時期に、もっと他に見たい映画があったりして、007を見る機会がなかったのだ。しかし、今回はボンドガールがハル・ベリーなのである。これは見ないわけにはいかないでしょう。「ハル・ベリー」が強烈な動機となって、ようやく初007と相成ったわけだ。
先に結論から言ってしまうと、オースティンみたいなバカバカしいパロディができてしまうのも納得できるような、大馬鹿映画。もちろん、いい意味で。ストーリーとか、細かい部分ではツッコミどころ満載だが、そんなことをすべて忘れて、ドハハと笑ってスカッとするアクション超大作。よくアクション映画の宣伝で「全編クライマックス!」という陳腐なフレーズが使われて肩透かしを食うが、これは肩透かしのない「全編クライマックス」。2時間以上ある結構長丁場な映画だが、長さは感じさせない。
おなじみイギリスの敏腕スパイ、ジェームズ・ボンド。今回は北朝鮮で武器を横流ししているムーン大佐を暗殺するために、北朝鮮に潜入した。武器商人?に化けて大佐に接近したボンドだが、なぜか正体がばれてしまう。大立ち回りの末、大佐を滝つぼに突き落として難を逃れるものの、そこに大佐の父ムーン将軍が現れて、拘束されてしまう。14ヶ月後。大佐の右腕ザオが中国の諜報員を殺害して、韓国で拘束される。ザオとの交換で、ボンドは釈放された。しかし、ボンドは職務を解かれてしまう。拘束中に北朝鮮に潜入していたアメリカの諜報員が殺される事件があって、その情報をボンドが流したのではないかという疑いがかかっていたためだ。自分に向けられた疑惑を解くために、ボンド監視の目をかいくぐり、ザオが潜伏するキューバへ飛ぶ。果たしてボンドをハメたのは誰なのか? ザオの影にチラつくダイヤモンド王グレーヴスとは? グレーヴスの進める驚愕のイカルス計画とは! ボンドは世界を救うことができるのだろうか・・・!
ボンドは14ヶ月も拷問を受けたのに、なんで全然やせていないの?とか、あの人があの人になってあの地位につくまでに14ヶ月は短すぎやしないか?とか、なんでザオが顔を変えなきゃいけないのか?とか、なんでジンクスは医者を殺しちゃったの?とか、あの人はどこでボンドをハメたの?とか、もうツッコミどころ満載。ストーリーは微妙な破綻だらけというか、あまりに伏線が少ないというか、細かい説明を飛ばしすぎというか、とにかくハチャメチャだ。でもまあ、大筋でなんとなく分かるので、よしとしよう。いちいち突っ込んでいたら切りがない。あの指輪では自分の指まで切ってしまうんじゃないかとか・・・いや、もうやめよう。
もうとにかくアクション、アクション、またアクションだ。北朝鮮でド派手に銃撃戦をやらかしたと思うと、すぐにキューバに飛んで病院で大立ち回り。その足でイギリスへ戻ると、今度はダイヤモンド王グレーヴスと真剣(!)でのフェンシングだ。さらにアイスランドでカーチェイスにつぐカーチェイス、ラストは空飛ぶ要塞のなかでグレーヴスとの大決戦。息をつく暇もない。それぞれに面白いし、出てくる武器(ボンドカーの登場シーンはビックリしたな)は荒唐無稽というか、そんなんありか!と笑っちゃうようなもんばっかりだし、まあとにかく楽しいです。肩の力を抜いて楽しめます。ピアース・ブロスナンはもう少し痩せた方がいいんじゃないですか、そのほっぺたと腹では少しセクシーさに欠けるのではないですか、と突っ込みたくなるが、ユーモアあふれるフェロモンヒーローという意味ではなかなかいい感じ。悪役勢もグレーヴスとザオを筆頭に、もう見るからに悪そうなヤツぞろいで、勧善懲悪分かりやすくてとてもいいです。
そしてなによりもいいのが期待を裏切らないハル・ベリーでしょう。よく見ればそんなに足が長いわけでもないし、プロポーション的に抜群というわけではないのだけど、細い肩回りとグラマーでセクシーな腰つきのアンバランスさが、なんともたまりません。今回はアメリカの秘密工作員として大活躍。ビキニの上に薄いドレスをまとい、たくましい太ももをモロ出しにしながらザオを追撃するシーンは最高です。というか、もうビキニで初登場のシーンから目が離せません。ラストの迷彩服姿もよく似合っていましたね。あー、ハル・ベリーを堪能した〜・・・とため息をつくこと間違いなし。
ツッコミどころ満載ということで1押忍減点しようかとも思ったけど、そういうことを忘れさせてくれる勢いがあるし、大作感も十分。こんなに面白いんだったら、もっと007見ておけばよかったと思う。ハル・ベリー大活躍が非常にうれしかったこともあって、ちょっと文句つけたい面もありながら、満点の5押忍。まあ、ツッコむなと。もう。そういう映画ですわ。
「戦場のピアニスト」(1.5押忍)
「ローズマリーの赤ちゃん」で知られるベテラン、ロマン・ポランスキー監督最新作。実在したポーランドのユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの半生を描いた感動?作。
1939年。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。ポーランドはナチスの占領下におかれ、ポーランド在住のユダヤ人たちは狭いゲットーに押し込められることになった。その中に、国民的な人気ピアニスト・シュピルマンもいた。ナチスの激しい迫害のもと、ゲットーの地域は次第に狭められ、やがてユダヤ人たちは絶滅収容所へと送られることになった。家族と離れ逃亡したシュピルマンは、友人たちの助けを借りてゲットーを脱出、ワルシャワ市内で転々と孤独な潜伏生活を送ることになる。ゲットー蜂起、ワルシャワ蜂起を潜伏先のアパートの窓から見つめるシュピルマン。ソ連軍の進攻が始まり、ワルシャワは戦場になる。1人で廃虚を逃げ回るシュピルマン。一軒の廃屋のなかに潜んでいたところを、ドイツ人将校に見つかってしまう。「仕事はなんだ」という問いに「ピアニストです」と答えるシュピルマン。なにか弾いてみろ、と命じられ、シュピルマンは廃屋に残されたピアノでショパンを弾く。
大体、上に書いただけでストーリーのすべてだ。極めて淡々としている。ドラマチックな盛り上がりはない。ゲットーに押し込められるときにもシュピルマンは淡々としている。恋人の姿を認めて笑顔さえ作っている。死と隣合わせのゲットー内にあっても、シュピルマンはただピアノを弾くだけだ。死が待つ絶滅収容所に向かう列車に乗り込むときに、シュピルマンは友人の機転で家族から引き離され、死を免れる。ことのときも家族のことを気づかうそぶりをみせたのは一瞬で、すぐにコソコソと逃げていく。ゲットーから脱出するときも、ものすごくこっそり逃げていく。とにかく、主人公は目に見えるような形で苦悩しない。おそらく、家族が死出の旅に向かうのを、文字通り引き裂かれるような思いで見送ったはずだ。ゲットーに残った仲間たちがドイツ軍相手に蜂起したときも、あそこに残っていれば(これはセリフでいうけど)と歯がみするような思いで見つめたはずだ。ワルシャワ蜂起のさいも、なんとかしたいと思ったはずだ。しかし、ピアノを弾くしか能がない彼には、どうすることもできない。ただ、じっと黙って見つめ、自分のケツに火がつけば必死になって逃げるだけ。こんなに情けない主人公も珍しい。
しかし、これは実話を元にした映画なのだ。もし、実際に自分がシュピルマンと同じ立場であれば、どうだろう。おそらく、彼と同じように必死になって逃げ回っただろう。「死ぬかも知れない」と思うような状況に、自ら望んで飛び込んでいくような勇気はないだろうし、それでなくとも、意味もなく殺されるような状況なのだ。そういう勇気が発揮されるのはフィクションのなかでの話であって、実際にはそんな勇気は起こらないと思う。そういう点では、なんだか腑に落ちないものを感じつつも、あまりにも悲しげなシュピルマンの逃避行には、共感するものはある。
そして、クライマックス。潜伏していたところをドイツ人将校に発見され、絶体絶命の危機に陥るシュピルマン。追いつめられた彼は、廃虚の闇の中でショパンを弾く。これまで表情にも出さず、ただ見つめてくるしかなかった悲劇。そこに自分がかかわることができるとすれば、それはやはりピアノを通じて以外にありえない。そんな思いを一気に吐き出すような、鮮烈な演奏である。この4分間のために、ここまでの2時間近いシュピルマンの「傍観」が費やされているわけだ。このシーンはここまでがどんなに退屈であっても、静かに心を揺さぶる力強さがある。廃虚の窓から月明かりが差し、ホームレスのようにボロボロになったシュピルマンが2年間、弾きたくても弾けなかったピアノに思いのたけをぶちまけるような姿を浮き上がらせる。映像もすばらしい。ただ、シュピルマンが弾いているのがショパンというのは、あまりにも分かりやすい。ショパンはポーランドをこよなく愛したピアニストだが、私の記憶が正しければ、ショパンはシュピルマン以上に身体が弱く、父の勧めでウイーンやパリに出て、ロシアのポーランド侵攻の際に参戦できなかったという経緯がある。ショパンの姿に自分をなぞらえたことは間違いないだろうが、あまりにも分かりやすくてこの辺はどうでもいいように思う。
本作はシュピルマンの激動の人生を描いたこともあるが、同じくゲットーで生活し、そこから脱出して潜伏生活を送ったことがあるポランスキー自身の体験が色濃く反映されている。それだけにものすごく地味な脱出劇や逃走劇にはドラマチックさの欠けらもないが、切迫感は十分にある。ドイツ人は基本的に悪人に描かれているが、なかにはシュピルマンに情けをかけた人物もいたし、その一方でドイツ軍と結託してユダヤ人を虐待したユダヤ人もいた事実もきちんと描かれている。ステレオタイプな勧善懲悪モノになっていないあたりは、やはり実話ベースならでは、か。
クライマックスへと盛り上げるために、中盤以降はほとんどBGMがないのもいい。だからこそ、たまにピアノの音が流れると、猛烈にインパクトに残る。
ここまでいろいろほめておいて、なぜ1.5押忍かというと、とにかく長くて退屈なのだ。主人公はリアルながらもとにかく情けなくて、なんだか見ているほうが物悲しくなってしまう。クライマックスは静かに胸を打つものはあるものの、涙を流すほどの激しさはない。個人的に思うのだが、こういう「静かに胸を打つ」タイプの映画は、DVDで自宅で深夜にひそかに見たほうがいいのではなかろうか。なんらかの期待感に胸をふくらませて行ってしまう映画館では、物足りなさが残る。これほど退屈で長いと、座っているだけでも身体的につらい。クライマックスのシーンで1押忍。映像の美しさで0.5押忍与えたが、ストーリー的に衝撃もなく、クライマックス以外の音楽がいいとか、俳優の演技が心に残ったとか(主役のエイドリアン・ブロディはよかったが)そういうことがない。戦時下の狂気を描いた秀作といいたいところだが、戦時下の狂気ならば「地獄の黙示録」とか「ディア・ハンター」みたいな傑作があるわけで。ステレオタイプでない、事実に即したホロコーストものとして評価したいところだが、クリスチャンでない人間に「悪魔ネタ」のホラーがイマイチ面白くないように、ユダヤ問題に対して教科書程度の知識しかない人間には、ああそう程度にしか思えない。ちなみにラスト近くで現れるメッチャクチャに破壊されたワルシャワ市街地のセットはなかなかの迫力。これは映画館で見る価値があるかも。
そうそう、付け加えるなら、ドイツ兵にもらったジャムを一口、口に含んだシュピルマンが、じっと目を閉じて愉悦の表情を浮かべるシーン。秀逸である。
「LORD OF THE RINGS〜THE TWO
TOWERS」(次回作への期待もこめて4押忍)
ファンタジー超大作「ロード・オブ・ザ・リング」の第2章。冥王サウロンの復活を阻止するため、サウロンの指輪を捨てる旅に出た9人の旅の仲間。第1章では、旅の仲間が結成され、仲間たちが3つのグループに分かれるところまでが描かれた。今回はいよいよ本格的にストーリーが始まる。「ハリー・ポッター」がパート2でパワーダウンしたのに反して、こちらはパート2になってスケール、迫力ともにパワーアップ。アクション大作としても、高く評価できる。
第1章で仲間と別れ、サウロンの住むモルドールに向かったフロドとサム。指輪の以前の持ち主ゴラムは、指輪を取り戻そうと2人を襲撃するが、返り討ちにあって捕らえられてしまう。指輪の力で醜い姿に変わり果てたゴラムを哀れに思ったフロドは、ゴラムを旅の仲間に加え、モルドールへの道案内をさせる。国境に辿り着いた一行だったが、そこには巨大な門があり、まともに入れそうもない。ゴラムは「他に地下通路がある」というのだが・・・。
一方、ウルク=ハイに連れ去られたメリーとピピンは、夜陰に乗じてファンゴルンの森に逃げ込み、森の番人「木のヒゲ」に出会う。2人を森を荒らしに来たオークと勘違いした木のヒゲは、2人を「白の魔法使い」の前に引き出した。白の魔法使いといえば、サウロンの部下のサルマンしかいない!絶体絶命を思った2人の前に現れたのは、第1章で死んだと思われたガンダルフだった。ガンダルフは白の魔法使いとして復活していたのだ。
メリーとピピンを追ってきたアラゴルン、レゴラス、ギムリの3人は、途中で騎士の国ローハンを通過。そこで、北へと進路をとる騎士団に遭遇する。ローハン国王セオデンはサルマンに精神を支配され、ローハンは滅亡の危機に瀕していた。騎士団は精神を病んだ国王から追放され、自主的に国内を防衛して回っていたのだった。ファンゴルンの森でガンダルフに再会した一行は、モルドールの進軍を防ぐために、ローハンの防衛に力を貸すことにする。ガンダルフの力で正気に戻ったセオデンは、ヘルム峡谷の要塞に籠城する道を選ぶが、ヘルム峡谷は逃げ道のない袋小路だった。「援軍が必要だ」とガンダルフはアラゴルンたちを残して、騎士団の捜索に向かう。そのころ、サルマンの作ったウルク=ハイの軍勢が、ヘルム峡谷に向かっていた。敵は数万、味方は数百。絶望的な状況のもと、壮絶な防衛戦が始まる!
今回は、アラゴルンたちが人間の世界を守る戦いを中心に描かれる。フロドたちの旅は進むようで、全然進まない。しかし、ガンダルフの意見とは言え、フロドたちをゴラムに任せておいて、人間世界の戦いに助力するアラゴルンたちの行動には納得しがたい。みんな指輪を捨てるために旅に出たのではないのか。確かに最終的な目的は、サウロンの復活を阻止することにあるのだが、それにしてもなあ。まあ、目の前でローハンが滅亡していくのをみるに忍びないというのもあっただろうが。とにかく今回はこれが腑に落ちなかった。
それを除けば、指輪の魔力がフロドの精神を蝕んでいくあたりが描かれていて、第1章で感じた「旅の動機」に関する不自然な感じはかなり薄らいでいる。指輪は復活に向けて持ち主を探していて、フロドも指輪の要求に急き立てられて動いているにすぎない・・・ということがよく分かる。アルウェンとアラゴルンの悲恋はもっとドラマチックにやってもよかったようにも思うが、まあこれくらいが鼻につかなくていいのかもしれない。
今回の見どころは、ロケ地となったニュージーランドの大自然。とにかくすばらしい。雪をいただいた山脈、どこまでも続く草原、そこを疾走する馬。どのシーンを取っても映像の美しさには感心する。そしてクライマックスのヘルム峡谷。ウルク=ハイの大軍はCGで作られたものだが、CG臭さを感じさせず、すごい迫力だ。それに合わせた音楽もいい。ストーリーは大幅には進まないが、とにかく映画館で見る価値はある。それも大画面で。戦闘シーンがガチャガチャした感じがして見にくいが、その辺は目をつぶろう。
内容的にどうこうというところはないので1押忍減点した。相変わらずキャラの心理描写があまりないとか、文句をつけたいところはいくつもあるが、それをカバーしてあまりある大自然の美しさ。戦闘シーンのド迫力。「ファンタジー」という文字をまさに映像化したという趣で、この手の映画が好きな人は必見だ。そうじゃない人でも、これはかなうかぎりの大画面で見るべき映画である。
「レッドドラゴン」(3押忍)
なんと、先月は一回も映画を見ていないのだ。なんてこった。
「羊たちの沈黙」「ハンニバル」に続くレクター博士シリーズ第3弾。過大な期待をせずに見に行ったら、期待以上に面白かったので3押忍つけたが、大作感はない。とりあえずは面白いんだが、ちまっとまとまったサスペンスという感じ。
1980年。FBIの敏腕捜査官グラハムは、被害者の一部を切除して持ち去る連続殺人犯を追っていた。彼の強力な助言者は、犯罪心理学の天才・レクター博士。ある日、犯人は被害者の一部を切り取って食べているのではないかとプロファイルしたグラハムは、レクター博士宅を訪れて自分の考えを打ち明ける。このとき、グラハムはレクターが犯人ではないかという疑念を抱いていた。感づかれたことに気付いたレクターはナイフでグラハムを襲うが、グラハムの反撃に会って逮捕。終身刑となった。
数年?後。レクター事件で心身ともに傷ついたグラハムはFBIを引退し、フロリダで静かな暮らしを送っていた。そんなある日、FBI時代の上司クロフォードが訪ねてくる。2軒の家族がまったく同じ手口で皆殺しにされた事件について、グラハムの協力を得たいというのだ。迷ったグラハムだが、結局「人助けになるのなら」と事件に乗り出す。被害者宅を捜査して一定の成果を上げたグラハムだが、決定的な証拠はつかめなかった。そんなとき、クロフォードが「レクターに会って助言を乞え」と言い出した。底知れぬ恐怖を抑えながら、グラハムは再びレクターと対峙する!
本作では「羊たちの沈黙」ですでに精神病院に収監されていたレクターが、いかにして逮捕されたかの顛末が明らかになる。まあ、そんなことはどうでもよろしい。互いに憎しみを抱きつつ、似た者同士という不思議な親近感を感じあうレクターとグラハム。そして犯人である「レッドドラゴン」の葛藤。この2本の心理戦を軸に、ストーリーは進む。レクターというキャラクターがハナにつく人には、全然おもしろくない作品だと思うが、レクターを悪のヒーローとして楽しめる人には、それなりに面白いと思う。「ハンニバル」ほどレクター萌え萌え映画ではない点は評価していいだろう。残虐シーンを抑え目にして、雰囲気で怖がらせる手法もなかなかいい。監督は「ラッシュアワー」を撮ったブレット・ラトナー。インタビューで「次はミュージカルとかコメディを撮りたい」といっているように、本質的に「明るい」映画指向の監督だ。それで大丈夫かいな・・・と思っていたが、まったくの杞憂。アップを効果的に使った映像は、残虐シーンをはっきりと見せなくても十二分に怖いし、音楽ともバッチリかみあっている。「羊たちの沈黙」も手がけた脚本家テッド・タリーの手腕もあるのだろうが、2時間をずっとドキドキしながら見ることができた。
ちなみにラストの15分くらいは余計だと思うが、みなさんはいかが。
アンソニー・ホプキンスにはもう特になにもいうことはないだろう。この人はレクターというキャラクターに実にハマり役だ。グラハム役のエドワード・ノートンは「ちょっと普通じゃない人」という部分をうまく出していた。もともと「普通じゃない人」の役をやっていることが多いイメージがあるので、ますますそう感じる。レッドドラゴンには「イングリッシュ・ペイシェント」の色男レイフ・ファインズ。狂人の役をやるイメージではなかったが、これまた意外にハマっていた。
ただ、全体的に見れば大作感に欠け、ラスト15分も取ってつけたような印象はぬぐえない。レッドドラゴンがグラハムにこだわるのかが不明で、なぜああいう行動に出るのか説得力がない。音楽と映像、演出はいいのだが、なんだか見終わったあとに「いい映画を見た〜!」という充実感がなく、3押忍に留めた。ちなみに先日、テレビで「羊たちの沈黙」をやっていたので、久々に見た。やはり、最初に見たときと同じで、あまり面白くない。クラリスとレクターの禅問答映画という見方は少し変わったが、なんしろ異常犯罪モノが世にあふれた今となっては、古くさくてげんなりする。若き日のジョディ・フォスターが見られてちょっとうれしかったという程度だ。「レッドドラゴン」、前2作を見て、レクターシリーズのファンだという人は見に行けばいいと思うが、そうでない人は急いでいく必要もないだろう。
余談だが、「Xメン」のパート2とスタートレック映画版最新作「ネメシス」の予告編が本格的に始まった。こっちの方は楽しみである。奇しくも、両方ともパトリック・スチュアートなのだ。
「マイノリティ・リポート」(4押忍)
SF史に燦然と輝く傑作「ブレードランナー」の作者、フィリップ・K・ディック原作の短編を原案に、スティーブン・スピルバーグがトム・クルーズを主演に迎えて長編に仕立て上げたSF大作。びっくりするほどおもしろいわけではないが、全然おもしろくないわけでもなく、ごく普通に面白い。ただ、よく考えるとなんだかおかしい。そういう細かいツッコミをしない、と肝に命じておけば、そこそこ楽しめる娯楽大作といえる。
2054年のワシントンD.C.。犯罪予防局は、プリコグと呼ばれる3人の予知能力者の力によって、殺人事件を未然に防いでいた。トップに立って働くのは、ジョン・アンダートン刑事。ジョンは6年前に息子を誘拐されたことが心の傷となり、それ以来、犯罪の撲滅に心血を注いでいた。ある日、司法省からウィットワーという調査官がやってくる。犯罪予防局が行っている殺人予知のシステムを全国展開するかどうかを決める国民投票を前に、システムの調査にやってきたのだ。ウィットワーは「システムが誤作動したことは?」と疑問を投げ掛けるが、ジョンは全面的に否定する。なにしろ、自分が生きる拠り所としているシステムなのだ。ウィットワーを案内しているときに、ジョンはプリコグの一人アガサに「あれが見える?」と不思議な殺人の予知映像を見させられる。それは、アン・ライブリーという女性が殺害されるシーンだった。疑念を持ったジョンは、犯罪者の収容所へ行ってアン・ライブリー殺害事件について調査する。事件は解決済みで、犯人はどこの誰とも知れない謎の男だった。しかし、被害者のアンはどこへともしれず行方不明になっており、事件のデータもなくなっていた。
犯罪予防局に戻ってくると、プリコグたちが新しい殺人事件を予知していた。予知映像を注視するジョン。ところが、犯人は自分自身だった。被害者はリオ・クロウという男。ジョンがまったく知らない人物だ。混乱したジョンは、犯罪予防局から逃走する。システムが誤作動したのか? ジョンはシステムの開発者ハイネマン博士を訪ねる。驚いたことに、ハイネマン博士は「システムが誤作動することはありうる」というのだ。3人のプリコグのうち、2人が同じ予知をしても、1人が違う予知をする場合がある。しかし、こういう場合、少数派の意見(マイノリティ・リポート)は却下されてしまうというのだ。自分自身にも、殺人を犯さないという「マイノリティ・リポート」があるのではないか? マイノリティ・リポートはアガサの記憶の中にあるという。ジョンは網膜走査装置をかいくぐるために眼球を移植し、再び犯罪予防局に潜入する。はたして、ジョンの運命やいかに・・・!
実際にジョンは殺人を犯してしまうのか? という謎を引っ張りながら、ストーリーはエンディングに向けて突き進む。当然、事件には裏があって、ラストには二重三重のどんでん返しが待っている。テンポがよくて、2時間半近い長丁場も飽きさせない。なぞ解きとして見れば少々ご都合主義的な感じもするが、別になぞ解きが主眼のお話ではないので、その辺には目をつぶろう。息子の誘拐事件によって離れて暮らすことになったジョンとその妻ララの関係の再生、プリコグらの人間としての再生の話を絡めながら、最後まで息が抜けないいい感じの仕上がり。エンディングも「あー、よかった」とホッと胸をなで下ろして終わる。この辺はさすがスピルバーグ、ソツがない。
ただ、人間ドラマとして見た場合には、あまりにもそっけないというか、書き込み不足を感じずにはいられない。ジョンが息子を愛していたことはなんとなく分かるが、ジョンとララの愛情の深さなんて、全然伝わってこない。ジョンの心の傷の深さや、ハメられたことが分かったときの怒りの大きさなんかは、あまりにもあっけなく描かれていて、身にしみて感じられない。犯罪予防局のバージェス局長の心理なんて、ものすごくいい加減だ。アガサの気持ちも、ほとんど描かれていない(描かれているのかもしれないが、伝わってこない)といっていい。ソツはないが、深みはもっとない。まあ、そういうことを期待しなければいいんだけど。
映像はなかなかすごい。が、今回は特撮よりも、やたらとザラザラした画面の質感がいい。最後の最後まで「本当にこれでいいのか!」というダークな展開でストーリーが進むのだが、そのダークさにうまくマッチした映像だ。意図的にこうしたらしいが、最初は現像ミスかと思った。それくらいのインパクトがあり、あのザラザラ感がいい感じの違和感を生みだしている。
特撮に関しては特にどうもこうも、というか、少し不満。マグネチック・レビテーションというビルの壁面も垂直に上ってしまう自動車が登場する。これを、ジョンが次から次へと飛び移っていくシーンがあるのだが、ものすごく高いところを走っているはずなのに、ジョンの足元がほとんど映されていないので、危機感が半減である。ここでちょっとジョンが足元をのぞき込んだりしてクラクラッとくれば、恐怖感抜群だと思うのだが・・・。あと、警察官が背負っているジェットエンジン。すさまじく熱そう(実際にこれでハンバーグを焼いてしまう)のだが、ジョンはこれに接触寸前になりながらしがみついている。大丈夫なのか? 全体的に見れば、ホー、へーと感心しながら見られるんだけど、ふと我に返ればなにかおかしい。なにか物足りない、と。そんな感じだった。
トム・クルーズはソツがないなあと思うくらいで、特に演技がどうだとか、そういう感想は持たなかった。これならエドワード・ノートンの方が100倍くらいうまくやれるかもしれない。もともと、キャラクターの心理に深く踏み込んでいるような映画ではないので、思い入れもほとんどできない。そのくせ、この映画はほぼ全編、トム・クルーズしか出てこないのだ。トムファンには垂涎の映画かも知れないが、そんなことどうでもいい人にとっては、はー、へーとうなずくしかない。
余談。シリアスなSFのはずなのに、中途半端に笑えるギャグが出てくるのはどうだろう。個人的にはなくてもよかったというか、こういうのをなくして、もっとジョンのトラウマとか、アガサのトラウマを深く描いた方がよかったと思う。まあでも、トムが手術後に腐ったサンドウィッチを食うシーンや、目玉を追いかけるシーンは不覚にも笑ったよ。
総論。細かいことをいいだせばキリがないが、そういうことを抜きにすれば、それなりに楽しめる。大作感もあるし、見終わった後の充実感もなかなかいい。ただ、途中で細かいことが気になり始めると、気になって気になって仕方ない。僕はエンディングで「これでは映画の根本となっているシステム自体が完全否定されてしまうではないか!」とツッコミ始めてしまい、困ってしまった。だから1押忍減点。
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(3.5押忍)
「史上最強」のファンタジー第二弾。「賢者の石」には堂々の5押忍を与えたが、今回は厳しく3.5押忍にとどめた。とはいえ、やはり面白いことは否定できない。子供から大人までみんなが楽しめる娯楽大作といえ、ぜひとも映画館で見ることをオススメする。
「賢者の石」ののち、バカンスで意地悪な叔父の家に一時帰宅したハリー。階段下の物置から、2階の一室を与えられることになった。しかし、これは叔父が「ハリーを二度と魔法学校へ行かせるものか」と仕組んだこと。部屋の窓には鉄格子がはまり、自由に外出させてもらうことはできなかった。そんなある日、ハリーの部屋にドビーと名乗る醜い妖精がやってくる。「ホグワーツに戻ってはいけません。恐ろしい罠が待っています」とドビーは警告し、姿を消した。それから数日後の夜。ウィーズリー兄弟がハリーを救出にやってきた。空飛ぶ魔法の自動車でハリーの部屋の窓をぶち壊すロン。ハリーはロンとともに、再びホグワーツへと旅立つ。
ダイアゴン横丁へ教科書を買いに行ったハリーは、そこでマルフォイの父、ルシアス・マルフォイに会う。由緒正しい家系のルシアスは、露骨にロンやハーマイオニーを侮辱した。学校に戻ったある日、ハリーは不思議な声を聞く。「お前を殺してやる・・・」という恐ろしい声を追っていったハリーは、壁に血文字で「秘密の部屋は開かれた。継承者よ、注意せよ」と書かれているのを発見。そばには学校の用務員?フィルチさんの愛猫、ミセス・ノリスが石にされていた。「ノリスを石にしたのはハリーだ!」とフィルチさんからあらぬ疑いをかけられるハリー。秘密の部屋とはなにか? そして、ハリーを待ち受ける罠とは・・・!?
世界観や舞台設定の部分に多くの時間を割いた1作目。ストーリーは盛り込み詰め込みした感じだったが、心地よいテンポ、すばらしい映像、絶妙のキャスティングで、極上のファンタジー映画に仕上がっていた。今回はすでに説明済みの部分が多いため、謎の「秘密の部屋」をめぐって、十分にストーリーに手間がかけられているような感じがする。ハグリッドがなぜ退校処分になったのか本作で明らかになるし、ホグワーツ創設の話も、ほんの少しだけだが紹介される。
映像面に関しては、第一作が衝撃的だっただけに、ちょっと物足りない。クィデッチのスピード感が増したように思うが、相変わらずクィデッチのシーンだけ現実感が希薄だ。なんだかアニメを見ているみたい。今回みていて気が付いたのだが、よく見ると背景がやたらと綺麗すぎるのである。山並みや、観客席の色彩が美しすぎるし、空気中にチリひとつ浮いていない。これが現実感がない原因なのかもしれない。秘密の部屋も、「賢者の石」で登場した巨大チェスのシーンに似ているように思う。序盤の見せ場であろう、空飛ぶ自動車も、なんだか「E.T.」を見ているみたいで、特になんとも思わなかった。こういうところに力を入れるのならば、もっと日常生活を細かく見せてほしかった。1作目でいいな、と思ったのは、何気ない日常生活のシーンが非常に美しく撮られていたからだ。それだけに、なんだかアクションシーン中心になってて、少しがっかり。相変わらず夜のシーンの照明はよかったのだが・・・。どうでもいいけど、虫がやたらとたくさん出てくるのは、お約束なのか。「賢者の石」でもトンボみたいな虫がわらわら飛び回るシーンがあったが、今回はクモがワラワラ出てくる。音楽に関しては変化なし。
ストーリーが、今回は大きな減点材料だ。分かりにくいのだ。終わってから考えたもの。トム・リドルは結局、ヴォルデモートその人なのか? ヴォルデモートとスリザリンの関係は? この部分がよく分からなくて、結局はリドルはヴォルデモートその人である、ヴォルデモートはスリザリンの子孫である、と解釈したのだが。クライマックスのシーンでの肝心な部分なだけに、はっきり分かるようにしてほしかった。それから、腰抜けのロックハートがなぜ秘密の部屋への入り口をしっているのか不明。ハーマイオニーが図書館で襲われたのなら、もっと多くの生徒が犠牲になっていてもおかしくないのに、ハーマイオニーだけが被害を受けているのも不自然。なぜしゃべる帽子から剣が出てくるのか。出てきてもいいんだけど、出るんなら出るで、もう少しドラマチックに出して欲しかった。秘密の部屋が開けられなくても、バジリスクは学校内をウロウロできなのではないか?という疑念も渦巻く。理事会・・・というか、マルフォイ親子がダンブルドアを敵視するのも理由がよく分からない。ダンブルドアが純血主義を否定しているからだろうか。その辺も映画の中では触れられない部分なので、どう理解するのも観客の自由なんだけれども。それに、あまりにもご都合主義な部分が2カ所あって、鼻についた。第一作もご都合主義、説明不足なところはたくさんあったけれども、そういうことをすっ飛ばして引き込まれてしまうくらいの勢いがあった。が、今回はストーリー以外に意識が引きつけられるような部分が少ないため、どうしてもストーリーに集中して、結果的にアラが気になってしまう。
今回は主要?な新キャラクターにルシアスと、小説家にして冒険家、魔女のアイドル・ロックハート(実はお調子者で憶病者)が登場するが、やはりこの映画を支えるのは、ハリーことダニエル・ラドクリフ、ロンことルパート・グリント、ハーマイオニーことエマ・ワトソンの主要キャラ3人。前作に引き続き、「もうこれ以上のキャスティングはない!」と興奮すること間違いなしのハマリ役。ハリーとハーマイオニーは一年で随分と成長してしまって、二人とも少し面長になって背も伸びた。第一作のときは丸顔で、まだまだ子供子供していたのだが。ダニエル君に至っては声変りも始まっているし・・・。それでも、まだまだこのトリオでバッチリ。この3人がキャラクターをこれ以上ないほど立てて、映画に命を吹き込んでいる。残念なのは、ハリーとハーマイオニーは4作目からは俳優が変わること。ルパート君はもう14歳なので、ここから大きく変わることはないだろうけど、あとの二人はここ一年の成長ぶりからすれば、さらに一年経てば・・・さすがに同じキャラクターを演じ続けるのは苦しそうだ。しかし。ダニエル・ラドクリフの代わりを務められるハリー役がいるのか? まったく想像できないのだが。
ストーリー面で1.5押忍減点した。ただ、相変わらず大作感は十分だし、クリス・コロンバスの作る娯楽作品は安心して見ていられる。2時間40分の長丁場も、それほど長くは感じない。このクリスマス、もっとも安心してオススメできる映画に間違いない。あまり急いで見に行く必要はないが、ぜひ映画館で見たい1本だ。ちなみに第一作を見ていない人、見ていても忘れてしまった人は、ビデオで見直してから行ったほうがいいかも。「えっ、それ何?」という「ハリー用語」がしばしば出てくるからだ。
「トリック」(4押忍)
自称天才マジシャン・山田奈緒子と天才(こっちは本物)物理学者・上田次郎のデコボココンビが、一見超常現象と思われる数々の難事件にチャレンジし、謎を解決していくテレビドラマの映画化。深夜枠で放送されたにもかかわらずジワジワと人気を呼び、パート2まで作られただけはある。面白い。今の仕事になってからすっかり深夜番組を見なくなったので、この映画の予告編を見るまでこのドラマの存在自体を知らなかったが、再放送されだしたのでチラチラと見るようになった。確かに面白い。手品をネタに、超常現象を解決していくというストーリーもいいし、なにより過剰すぎるくらいに立てられたキャラクターが楽しい。
例によって遊園地での舞台を首になる奈緒子。途方に暮れているところに、糸節村という村の青年団長・神崎と同副団長・南川に不思議な依頼をされる。「糸節村には300年に一度、亀の呪いによって災いが降りかかるという伝説がある。今年が節目の300年目。どうか村に来て神様のふりをして、村人を安心させて欲しい」。要は村で手品をやって、あたかも奇跡を起こす「神様」のふりをしろということだ。渋る奈緒子だが、多額の報酬に釣られて村に来てしまう。同じころ、上田も著作「どんと来い 超常現象」の取材のために、糸節村の伝説の化けの皮をはがそうと村に向かっていた。
村で打ちあわせ通りに手品を披露し、神様のふりをした奈緒子だが、すでに村には神を名乗る人物が3人もやってきていた。怪しまれて監禁される奈緒子。翌日から「神様」同士で対決させられる羽目になる。次々に自称「神様」のトリックを見破って、手品で難局を切り抜けていく。終盤はひそかに上田の手も借りながら、ついには本当の神様の座を射止めることに成功した。ところがまさにその時、神崎が「本当の神様を見た!」といって奈緒子の正体をバラしてしまう。一体どうなっているのか?奈緒子と上田の運命やいかに?!
大作感はまったくないが、とにかく面白い。ストーリーは上記に加えて徳川家の埋蔵金の話まで出てきて、これが奈緒子が神の座を射止めようとする動機になるわけだ。2時間ほどの映画でもまったく長さを感じさせない。するすると見られて、中だるみもない。後味もよろしい。劇中でたくさん出てくる「トリック」も、すぐにネタが分かっちゃうものもあれば、少し頭をひねるものまであって(神003番のトリックなんて、すぐに分かったが。そんなに悩む問題か?)、楽しい。とにかくストーリーに関しては合格。
けれども、この映画の面白さは、キャラクターが立っているという一点に集約していいかもしれない。主人公・奈緒子を筆頭に、みんな性格が分かりやすい。ハゲを必死に隠しているけどバレバレな矢部刑事なんてのは、もう頭髪ネタだけで突っぱねている。潔いくらいだ。「ごくせん」とテレビ版「トリック」でコメディエンヌとしての境地を開いた仲間由紀恵は、やはりこういう役が一番生き生きとしているように見えるし、上田役の阿部寛もこういう男前がこういうどこか間の抜けた役をやっているからこそ光り輝いているのだと思う。脇を固める陣営も強力だ。奈緒子の母親・野際陽子のアヤシサもいいけど、3人の神様(竹中直人、ベンガル、石橋蓮司)の怪演ぶりにも拍手喝采だ。特に石橋蓮司。上田の学生時代の友人たち(川崎麻世、相島一之、みのすけ、三宅弘城。みんな日本を支えるエリートという設定)のキャスティングも絶妙だった。
細かいお遊びも内輪受けにならない程度でいい。糸節村のテレビが「暴れん坊将軍」ばっかりしかしていないとか、竹中直人の衣装を見て「小林幸子!」と突っ込んだり、テレビ版を見ていなくてもくすくす笑える。過剰すぎないギャグもさじ加減がよろしい。
問題点をあげるとすれば、こういう肩の凝らないコメディなのに、凄惨なシーンがあること。あれもネタかと思った。ラストはやり過ぎではないか?と思ったが、まあいいか。そういうことを忘れていいくらい、全体的に見れば満足の行く内容。大作感がないという点で1押忍引いたが、映画館で見てもいい映画だと思う。
「ロード・トゥ・パーディション」(うーんこれは・・・でも2押忍)
正直、5押忍を付けようかどうしようかと迷った。よくできた映画なのだ。とても上質な映画なのだ。でも、個人的に「こうなったらちょっと嫌だなあ」と思っていた通りのストーリーだったので、一気に評価を下げた。でも、いい映画なんですよ。映像、音楽、演出ともに文句なし。ただ、ストーリーはちといただけない。このちといただけないところさえなんとかしてくれれば、最高の評価を与えても良かっただけに、ね。この「少し」の部分が、大きな分かれ目なのですよ。
大恐慌真っ只中の1931年アメリカ・イリノイ州ロックアイランド。町を仕切るのはアイルランド系マフィアのルーニー。マイケル・サリヴァンはルーニーの右腕として厚い信頼を置かれている。ルーニーに代わって殺人や取り立てなどの汚れた仕事をするのがマイケルの役目だ。マイケルには妻と二人の息子がいるが、家族はマイケルの仕事の内容については詳しく知らない。
ある日、マイケルはルーニーの息子で粗暴なコナーと一緒に、仲間内のもめ事の話し合いに向かう。話し合いで済むはずだったが、途中で激高したコナーが相手を射殺。この現場を、マイケルの息子マイケルJr.が目撃してしまった。マイケルJr.は父の仕事内容を知りたくて、車のトランクに隠れて付いてきていたのだ。「オレの息子だ。口は堅い」とジュニアをかばうマイケルだが、コナーは疑いのまなざしを向ける。常日ごろから実の息子以上にルーニーに可愛がられているマイケルに対して、コナーは激しい嫉妬心を抱いていた。この一件をきっかけに、コナーはマイケルとジュニアの抹殺を図る。しかし、マイケルはコナーの仕組んだ罠をあっさりと突破。コナー自身がジュニアを殺しにマイケルの自宅に向かうが、ジュニアはたまたまうちにおらず、代わりにマイケルの妻と次男を殺してしまう。
すぐさま復讐のためにコナーのマンションに向かったマイケルだったが、すでにコナーは組織によってかくまわれていた。提示された和解金を蹴って、伝言役を射殺するマイケル。マイケルとジュニアは、敵を討つために町を出てシカゴに向かう。アル・カポネの傘下に入るためだ。一方そのころ、ルーニーもコナーを連れてシカゴへ。カポネ率いるイタリア系マフィアのもとにコナーを預けていた。実の息子コナーと、実の息子のように可愛がっていたマイケル。どちらを取るか苦悩するルーニーだが、最終的にはコナーを取った。そしてルーニーはマイケルのもとへと殺し屋を差し向ける。果たしてマイケル父子は復讐を成し遂げることができるのか・・・!
マイケルは最近、名作と呼ばれる映画には必ず出ているトム・ハンクス。ルーニー役に大ベテランのポール・ニューマン。殺し屋マグワイヤ役にジュード・ロウと、CMでは3大俳優そろい踏みとかなんとか言ってたが、個人的に言わせてもらえれば、個性派曲者そろい踏みって感じだ。トム・ハンクスは「キャスト・アウェイ」のリバウンド全開って感じで太ってるし(そういうメイクなんだろうけど)、ポール・ニューマンは「ハスラー2」の見る影もないほど老けてるし、ジュード・ロウに至っては若ハゲメイクなのである!さらにコナー役のダニエル・クレイグのイカレっぷり、ジュニア役のタイラー・ホークリンのまゆ毛の変さが最後まで気になってしょうがない。いや、みんなうまいんですよ。演技はすごくいいんですが、変です。なんだか。
で、大体ストーリーは思っていた通りに進む。結局、孤立無援になったマイケルは紆余曲折を経てルーニーもコナーも殺してしまう。全部終わったと思ったところで、マイケルも殺し屋に殺される。で、ジュニアだけが生き残って終わりと。エンディングが思っていた通りに終わってしまうので、なんだかガッカリなんだけど、そこまではすごくいいのです。この映画はルーニーとマイケル、ルーニーとコナー、マイケルとジュニアという3つの父子関係を描いていて、それぞれがまったく違う終わり方をするわけ。ルーニーとマイケルは父子以上の関係を結びつつも、決裂してしまう。ルーニーは不出来なコナーを守ろうとして、実の子以上に愛したマイケルに殺されてしまう。コナーはルーニーの愛を得ようとして、破滅への扉を開いてしまう。マイケルはジュニアを愛しているが、自分のような血に汚れた人生を歩んで欲しくないと心の底から心配している。そんな心配をよそにジュニアは父を尊敬し、その愛を得ようとコナーとは違う方法でもがいてみせる。息子を守りきれなかったルーニーと、息子を守りきったマイケル。最後まで父の愛を理解しえなかったコナーと、父の心をそれなりに理解したジュニア。主にこの2ツの父子関係を対比させて、ストーリーは進む。これが、いい。派手に胸を打つシーンはないが、じっくりと父親と息子の関係って、こういうじわーっと分かりあうもんなんじゃないの?ということを描いていて、変な意味で心が温まる。
また、映像もいい。1931年代ということで、映像は全体的に色彩を抑えたシックな雰囲気。雨と闇を効果的に使っていて、絵作りはものすごくいい。特に序盤、ジュニアが父親が人を殺すのを目撃するシーン。「雪が残っているのにどしゃぶりの雨」というのが、これから起こる嫌な出来事を予兆しているようでいい。それから、マイケルがルーニーを殺すシーン。闇の中から機関銃の火花だけが見える。ボディーガードが全員殺されて、たった一人で雨の中たたずむルーニー。やがて、闇の中から現れるマイケル。この2シーンはとにかくいい。映画館でみる価値がある。
とにかく全体的に見ればいい映画なんだけど、部分的に気になって仕方ない(ジュニアのまゆ毛とか)部分が多く、エンディングがあまりにも予想通り。確かにこれ以上どうしろっていうの、という意見もあるだろう。マイケルはいずれ死ぬ運命だ。だからって、あそこで死ななくてもなあ。もうここでガクッとくるわけで。だから、そのあとのジュニアのナレーションもなんだか「ああ、そうですか・・・」と味気ない感じがする。ただ、余韻はいい。「キャスト・アウェイ」に迫る余韻を残す映画だ。頭の中を空っぽにして見ることをお進めする。もう1度、ゆっくりと見てみたら、感想も変わりそうな感じがするんだけど、とりあえず見た直後としては辛口の評価で2押忍、と。「アメリカンビューティー」はまだ見ていないけど、さすがサム・メンデス、とはいっておこう。ほめてんのかけなしてんのか、結局最後まで自分でも分からんな。
余禄。ちなみにこの映画、すでに次のアカデミー賞有力候補だそうな。個人的には数部門はあげてもいいと思う。それくらい映像と衣装はいい。
「サイン」(0.5押忍。ネタばれあり)
「シックス・センス」と「アンブレイカブル」でショッキングなラストシーンを提供してきたM・ナイト・シャマラン監督の最新作。主人公がブルース・ウィリスからメル・ギブソンに変わったが、男臭さはどっこいどっこい。まあ、そんなことはどうでもいいだろう。エンドロールが始まった瞬間、思わず「・・・・・・」と絶句すること間違いなしの近年まれに見る超肩透かし映画。特に前2作の印象が強いと、絶句の時間は長くなるはず。
グラハムは半年前、交通事故で妻を失った。これをきっかけに、神父だったグラハムは神を呪い、信仰を捨ててしまう。今は弟で元マイナー・リーグのホームラン王メリル、長男のモーガン、長女のボーと一緒にとうもろこし畑に囲まれた一軒家でひっそりと暮らしている。ある日、グラハムの畑にミステリーサークルが現れた。そして夜、屋根の上に不審な人影が。同じころ、世界中でミステリーサークルが次々に発生し、続いて無数のUFOが世界各地の大都市上空に現れる。町の本屋で宇宙人の本を買ったモーガンは「宇宙人が侵略してくる」とグラハムに言うが、グラハムは信じない。しかし、妻をひき殺した獣医師レイの家で宇宙人に遭遇して、モーガンの言うことを信じるに至る。そして、ついに宇宙人の侵略が始まった。グラハムたちは自宅の地下に立てこもるが・・・。
どうせシャマランのことなんだから、最後まで宇宙人を見せずに、最終的に「実は宇宙人じゃありませんでした〜どっひゃ〜」というオチかな、と思っていたら、これが本当に宇宙人が出てきてしまうのだ。それも、あの陳腐なスモールノーズ・グレイ(グレイにしてはやたらとデカいのだが)が。本当に宇宙人が攻めてくるのである。なんじゃいそりゃ。
で、この映画のテーマというか、キーワードが「偶然など何一つない」ということで、グラハムの妻が死ぬときに「グラハムは見て。メリルは打って」と言い残したこと、ボーが水に敏感で家中に水の入ったグラスを並べること、モーガンがぜんそくであること、メリルが元ホームラン王であること、モーガンがたまたま間違えて配達された宇宙人の本を買ったこと、そして何よりグラハムが信仰を捨てたこと、これらはすべて「たまたまではない」というオチに収束していくわけ。確かに、いずれもがラストで意味を持ってくるのだけれども、でもなあ。だから何?と突っ込まずにはいられない。
この映画は簡単にまとめてしまうと、妻を失ったことで信仰を失った男が、再び家族を失う危機に直面したときに神の啓示=サインを見いだして信仰を取り戻すというお話なわけだ。ストーリーの軸にあるのは家族愛で、サインはあくまでも添え物に過ぎない。で、これまでシャマランが得意にしてきた大どんでん返しもない。まあ、どんでん返しがなかったことは「そういう映画ではない」ということで捨て置くとしても、肝心の「サイン」がお粗末な扱いである。よくよく思い返せば、ストーリーで必要なサインはボーが水の入ったコップをあちこちに並べること、本を買ったこと、モーガンがぜんそくであること。この3つくらいで、ほかのサインは大して重要でないような気がする。妻が死んだことを第一の「兆候」とするのは無理がある。確かに遺言は絡んでくるが、バットを振り回すことくらい誰でもできそう。数多くの「サイン」が「神は存在する。グラハムは信仰を取り戻すべきだ」ということを指し示しているとしても、サインの扱いがずさん。全体に恐怖の雰囲気をピリピリと漂わせているのはいいのだが、細かい部分がユルい感じがして、終わったときに「えっ、これで終わり?」と思わず周囲を見回してしまう。
これまでのシャマランをイメージして見ると、とんでもない肩透かしを食う。そうでなくても、宇宙人の映画と思ってたら家族愛の映画だったという根本的な肩透かしが強烈で、見た後の印象が悪すぎる。B級中のB。でも、いくらB級好きでも、この肩透かしっぷりでは評価しようもない。ボー役のアビゲイル・ブレスリンがとんでもないほどに可愛らしいので0.5押忍つけた。「グラディエーター」で近親相姦の変態皇帝役を演じていたホアキン・フェニックスがいい人と悪い人の境界線にいるような危うい弟役をやっているのだが、これもまたよかった。メル・ギブソンは油臭くてとてもじゃないが神父には見えない。「最後の晩餐」のシーンでで息子のフレンチトースをを奪い取り、泣きながらむさぼり食うシーンには笑ってしまった。
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