2002年に見た映画・その1

「バニラスカイ」(2002.01.05)
「ハリー・ポッターと賢者の石」(2002.01.08)
「メメント」(2002.01.08)
「シュレック」(2002.01.13)
「ヴィドック」(2002.01.29)
「ラットレース」(2002.02.21)
「ロード・オブ・ザ・リング〜THE FELLOWSHIP OF THE RING」(2002.03.06)
「パルムの樹」(2002.03.27)
「ビューティフルマインド」(2002.04.02)
「ブラックホークダウン」(2002.04.17)
「WX。 PATLABOR THE MOVIE 3」(2002.04.18)
「スパイダーマン」(2002.05.13)
「パニック・ルーム」(2002.05.20)

(オススメ度を押忍単位で図っています。最高5押忍)


「パニック・ルーム」(1押忍)
 「セブン」「ゲーム」「ファイト・クラブ」と無茶おもろい映画を連発してきた、俺的最高リスペクトなデビッド・フィンチャー監督の最新作。ええ、あなた。そりゃ期待して見に行きましたよ。

 離婚したばかりのメグは、糖尿病の持病がある娘サラとともにニューヨークのマンハッタンに引っ越してきた。見つけた家は、すごい豪邸。とある富豪が残した屋敷で、邸内にはパニック・ルームという緊急避難用のシェルターまで備えられていた。格安物件に、メグは飛びつく。そして引っ越し当日の夜。屋敷に3人組の強盗が侵入した。富豪の遺族ジュニア、警備会社に勤めるバーナム、強盗の専門家ラウール。ジュニアは富豪がパニック・ルームの金庫に隠した遺産を盗みに来たのだ。空き家だと思っていたら、メグらがすでに引っ越していることを知って驚くジュニアたち。しかし、強引に計画を進めようとする。男達の侵入に気付いたメグは、サラとともにパニック・ルームに逃げ込むが、引っ越してきたばかりでパニック・ルームの電話は使えないうえ、サラのインシュリン注射の時間が刻々と迫ってきた。パニック・ルームをめぐり、母娘と強盗の息詰まる駆け引きが始まる!

 舞台は豪邸の内部のみ。ストーリーは一夜の強盗と母娘の駆け引きのみ。コンパクトにまとめられていてソツがない、というのが見終わった後の第一印象。そこそこドキドキハラハラもするが、正直言ってこの程度のドキドキ感はテレビの「スタートレック」シリーズに比べれば普通。ちゅうか、エピソードによってはスタートレックの方がよっぽど面白いことがある。そういうわけでストーリーは平凡だ。それに、これまで「最後の大逆転!」がすごく良かったフィンチャー作品だが、今回はそれもない。フィンチャーは実験的な映像をバリバリ撮る人で、今回もメグことジョディ・フォスターの寝顔からワンカットで玄関前の強盗の姿までを撮りきるなど、いろいろ面白いシーンを見せてくれる。ただ、今回は光の使い方がよくない。最大限に暗くして不安感を煽ろうという気持ちは分からないでもないが、フィンチャーの暗やみの撮り方ではない。フィンチャーの闇は、毒々しいまでに明るい闇なのだ。闇のどこかに似付かわしくないギラギラ感があって、それがとてもいい違和感を醸し出していていい感じだったのに、今回はただボンヤリと暗いだけで、イライラする。それを狙っているのかもしれないが、見ていて怖さを感じない。

 スローモーションを用いているシーンにしても、ジョン・ウーの二番煎じみたいで嫌だ。今回、唯一フィンチャーらしかったのは、オープニング。ニューヨークの町に3Dでまるで町の一部であるかのように浮かび上がるタイトル。これだけ。あとはフィンチャーらしさが感じられず、がっかりした。

 では他の部分はどうか。登場人物のすごく少ない映画なので、はっきり言って一人がダメだと全部ダメな感じになってしまう。今回はラウールことドワイト・ヨーカムがよろしくなかった。凶暴で冷酷な強盗の役なのだが、覆面を脱いだときの顔がそこらのオッサンみたいで萎える。ジャレッド・レトのジュニアもアホっぷりが中途半端でがっかりした。バーナム=フォレスト・ウィテカーは存在感があったが、中途半端ないい人ぶりにはへどが出る。
 で、主役のジョディ・フォスターはどうか。まあさすがに20年以上の女優歴を誇る人だけあって、うまい。ソツがないし、娘を守ろうとして強さを身に付けていく「いかにも定番的な」母親役を演じていても、嫌味もない。黒いキャミソールから、巨乳ではないが豊満なバストをチラつかせながら奮闘する姿もなかなかいい。だが、そこまでだ。最近、シングルマザーにもかかわらず3人も子供ができて(この映画の撮影中も妊娠中)めっきり映画出演が減ったジョディだが、結局はこれまでのイメージから抜け出せなかった。「コンタクト」とか「アンナと王様」とか「羊達の沈黙」とか「告発の行方」とか・・・。とにかく、どんな役にしろ、内側から強さを発揮して苦難を乗り越えていく役柄。一時期、なんだか宗教みたいでこの人は怖かった。今回はそうでもないが、なんだか浮世離れしていたのは事実。この映画は当初、顔が怖いニコール・キッドマン主演で撮影されていたらしい。ああいう泥臭いイメージの女優の方が、良かったような気がする。

 サラ役のクリスティン・スチュワートも小生意気で良かったが、とても10歳には見えない。メグの別れた夫も老けすぎで不自然。

 ソツがないということで1押忍。でも、映画館で見なくてもいいと思う。ビデオになってから、深夜にこっそりと期待せずに見たら、そこそこ楽しめるかもしれない。期待度が極めて高かっただけに、がっかり。

「スパイダーマン」(4.5押忍)
 生誕40周年かあ。なんだか万感の思いだなあ。小学生のころ、サンテレビでアニメ版を見ていた人間には非常に懐かしい。そして、実写化されたいまなお全く衰えぬ面白さ。監督がどんなにいい映画を撮っても「死霊のはらわた」から抜け出せないサム・ライミということで少し心配したが、杞憂だった。

 ピーターは勉強ができるだけが取り柄のドジでノロマな高校生。隣の家に住んでいる幼なじみメリージェーンに恋心を抱いているが、言い出せるほどの勇気は持ち合わせていない。夢はNYに出てカメラマンになること。ある日、学校の授業で大学の研究所を見学に行ったピーターは、ふとしたことから遺伝子操作されたクモに刺されてしまう。その影響で、一夜のうちにヒョロヒョロだった身体はたくましく変身、壁を自在に上れる指先、驚異の跳躍力、手首から飛びだすクモの糸などの特殊能力を手に入れる。この力を使って、メリージェーンの気を引こうとしたピーターは、まずは車を買うことを計画。一獲千金を狙って素人レスリング大会に出場して見事、優勝するが、性悪なプロモーターにだまされて雀の涙のような賞金しかもらえなかった。肩を落として帰路に着くピーター。ピーターと入れ替わりにレスリング事務所に強盗が入るが、プロモーターに対して怒りを感じていたピーターは強盗を見逃してやる。しかし、その強盗がピーターの育ての親である叔父を殺害して車を奪い、逃走。「自分が強盗を取り押さえていれば、叔父さんは死なずに済んだのに!」と自責の念に駆られるピーター。「大きな力には、大きな責任がつきまとう」。叔父の最後の言葉を胸に高校を卒業したピーターは、友人のハリーとともにNYへ。そして、手に入れた力で正義の味方スパイダーマンに変身し、NYの平和を守るために立ち上がる!

 上に書いただけで物語の3分の1くらいか。とにかく盛り沢山な内容で2時間ジャストくらいある映画なのだが、一気に見させてしまう。中だるみはまったくない。今回のスパイダーマンの敵は、肉体増強剤で悪の心に蝕まれたハリーの父・ノーマン。ノーマンは悪の化身グリーン・ゴブリンに変身し、自分の邪魔をする者を次々に殺害する。ストーリーはハリー、ピーター、メリージェーンの3角関係、ピーターと叔父、叔母との親子関係、ハリーとノーマンの父子関係の3本立てで進むが、これが実にうまくまとめられている。ただの特撮映画になっておらず、大人の観賞に耐えうるヒューマンドラマに仕上がっている。

 まあ、そんな御託は置いておくとして、なにはともあれとにかくスパイダーマンがカッコいいのだ。手首から飛びだす糸を使って摩天楼のビルからビルへと飛び移り、悪党どもをアッとういまに蹴散らし、颯爽と去っていく。糸にぶら下がって独特のポーズで降りてくる姿、ジャンプ後に地面に張り付くようにして着地する姿、いずれもアニメ、引いては原作を如実に再現していて、とてもいい。飛び回るシーンはやや合成臭さが鼻につくが、それに目をつぶれば実にいいデキだ。グリーン・ゴブリンの悪逆非道ぶりも徹底していて、むしろ爽快なくらい。

 そしてこの映画のいいところは、先にも書いたようにただのアクション映画になっていないところ。スパイダーマンにゾッコンになるメリージェーン、自分がスパイダーマンであると打ち明けられずにもんもんとするピーター。ピーターに父=グリーン・ゴブリンを殺され、復讐の鬼になるハリー。そのハリーに、自分がスパイダーマンであると言えずに黙り込むピーター。本作のラストでピーターは「本当に好きなのはあなただと気付いたの」とメリージェーンに告白されるが、ピーターはその愛を拒絶する。自分の全てを打ち明けられない以上、真の愛もありえない。「この力は、僕を呪い続けるだろう」というモノローグとともに歩み去るピーターのカッコ良さ!こういうキャラクター同士の愛憎関係こそ、この映画のだいご味だ。

 主人公ピーター=スパイダーマンには「サイダーハウス・ルール」のトビー・マグワイア。少しオタクっぽそうな雰囲気が、平時のスパイダーマンにふさわしい。メリージェーンには「ジュマンジ」のぽっちゃりお姉ちゃん役が可愛らしかったキルスティン・ダストン。なんでこんなに不細工になっちゃったの!と驚くことうけあいだ。つーか、もう少しきれいなヒロインは用意できなかったのか。ハリーには「Xファイル」での憎まれ役っぷりが記憶に新しいジェームズ・フランコ。ノーマン=グリーン・ゴブリンに個性派俳優ウィレム・デフォー。デフォーよくこんな映画に出たな。もしかしてスパイダーマン好きなのか。監督サム・ライミは「ダークマン」でも影のあるヒーローを描いており、どうやらこの手の映画はお手の物らしい。「クイック&デッド」や「シンプル・プラン」といった小粒でもギラギラ光る映画を撮る監督でもあり、改めて「死霊のはらわた」だけじゃないなあ、と見直した次第。

 とにかく、文句なしに面白い。ストーリーにはひねりがないが、一気に見させてくれるだけの魅力と勢いがあるし、なによりスパイダーマンがかっこいい。アクションシーンも爽快で、絶対に映画館で見て欲しい。すでにパート2の製作が決まっており、敵役にはアーノルド・シュワルツェネガーが名乗りを上げているそうだ。「バットマン」で懲りたんじゃないのか。ああ、それから。アニメ版を見ていた人は、絶対にエンドロールが終わるまで席を立たないこと。最後に懐かしいあのテーマが流れるぞ!必聴!

「WX。 PATLABOR THE MOVIE 3」(4押忍)
 ゆうきまさみ原作の「機動警察パトレイバー」が9年ぶりにスクリーンに復活。原作中でももっとも読みごたえのある「廃棄物13号」のエピソードをベースにしたパート3。特車2課が舞台で、あくまでもシリーズの延長にあったのがパート1だとすれば、後藤、南雲両隊長を中心に据えてシリーズ外伝として作られたのがパート2。パート3はパート2の趣を色濃く残し、外伝的な作品に仕上げられている。

 東京湾周辺で、次々に作業用レイバーが襲われ、乗務員が無残に殺害される事件が立て続けに起こる。これを一連の事件とにらんだ城南署の久住刑事は、相棒の秦刑事とともに操作を開始。ある日、秦刑事は大学で教鞭を取る岬冴子という女性研究者と知りあい、強く魅かれていく。調査を進めていた二人は、湾岸工区の備蓄基地で巨大な怪物に遭遇。やがて、背後には巨大な陰謀があることが分かり始めるが・・・。

 物語は秦刑事と冴子の奇妙なラブストーリー?(秦から冴子への一方的な好意ともとれるが)と、久住のハードボイルドな捜査行の2本立てで進む。例によって野明も遊馬もほとんど登場しない。後藤隊長は終盤からほんの少しだけ登場。しかし、パトレイバー的な世界観はシッカリと残されており、見終わった後、ああ、パトレイバーを見たなという充足感を得ることができる。パトレイバー的な世界観とは?簡単に言ってしまえば、近未来が実に身近に描かれているという点だ。近未来というと、ハリウッドはえてしてとても想像もつかないような近未来社会を作り出す。が、パトレイバーが描く近未来では、木造モルタルの古アパートはバリバリ出てくるし、駄菓子屋は健在だし、登場人物達は居酒屋で一杯やったり、ラーメンの出前を取ったりする。その一方でレイバーという実に未来的なモノも出てくるわけで、この未来的な部分と我々が身近に感じている現在的なモノの巧妙な組み合わせが、パトレイバー的世界観というわけ。今回もこの部分はしっかりと残っていて、実にパトレイバー的だ。久住と秦がメシ屋で天丼を食っているシーンなんてのは、その最たるものだろう。一方で、ミュージックビデオの撮影現場で、監督が「CGで観衆を作る」と言っている部分なんかは、少し未来的だ。いや、もう現実は追いついたかな。

 ストーリーは「廃棄物13号」をベースにしているが部分的にかなり手が入り(シャフトがあまり強調されない)、1時間40分の枠にうまく収まっている。ボクが原作を読んでいるせいもあるだろうが、コンパクトになりすぎず、かといって破綻部分もなくまとまっていて、原作を知っている人にはストーリー展開は上出来と言えるのではないか。冴子の狂気をどう見るかという点も意見が分かれるところだと思うが、この時間枠で収めるためには、ああいう理由付け以外にうまく収める方法はなかったと思われる。消極的賛成ではなく、積極的賛成として評価したい。13号の造形が相当変わっているのがどうかだが、個人的にはこれでもいいんじゃないかと思う。ややCG部分とアニメーション部分の整合が鼻につくシーンもあったが、まあそれも許容範囲。映像は総合的に見て丁寧に作られており、好感が持てる。動きすぎず、動かさなすぎず。音楽も雰囲気にマッチしていていい。しかしパトレイバーって、雨が似合う作品だな。今さらながら気がついた。

 あまり期待せずに見に行ったせいか、「パルムの樹」が予想以上にひどい映画だったせいか、見終わった後の印象が非常にいい。大阪では今週金曜日で上映終了だが、ぜひ映画館で見て欲しい作品だ。パート1はあくまでも原作(あるいはOAVの)の延長にあった。パート2はメディアミックスらしい冒険をしたが、押井のたわ言が延々と語られるだけで失敗に終わった。パート3はこの前2作をふまえて、外伝として成功させた。素直に面白い。出す時期が大幅に遅れたが、むしろ懐かしさも手伝って、とても良かった。ちなみに同時上映の「ミニパト」は延々と押井がうんちくを語る小作。紙芝居みたいな映像は面白いが、内容はガンマニア以外には退屈だ。ガンマニアにも退屈か。

 ストーリーに衝撃がないという点で1押忍減点。しかし、アニメ作品としては上々のデキ。

「ブラックホークダウン」(4.5押忍)
 「これは、観客に問いかける作品であって、答えを提供する作品ではない」・・・リドリー・スコット。

 1993年ソマリア。アイディード将軍による独裁体制は国家的な飢饉を引き起こしていた。国連物資もすべてアイディード陣営に強奪されるありさま。米軍は独自にアイディードの側近をら致し、アイディードの独裁体制の切り崩しを図る。10月03日。アイディード派幹部会議開催の情報をキャッチした米軍は、レンジャー部隊とデルタ部隊による強襲作戦を実行する。ヘリでら致班が現場に突入し、地上班がこれを回収するプランだったが、ソマリア民兵の予想外の反撃にあい、ヘリ2機が適地の真っ只中に墜落。乗員の救出に向かった兵士たちは、地獄のような銃撃戦を強いられることになる・・・。

 ソマリア内戦にアメリカが干渉した実話に基づき、製作された映画。プロデューサーが「アルマゲドン」「パールハーバー」のジェリー・ブラッカイマーと聞いて嫌な予感がしていたのだが、杞憂に終わった。アメリカ的な愛国精神紛々のゲロ甘さも、ご都合主義的な展開もない、極上の戦争映画。「プライベート・ライアン」のスタートから20分間を、2時間25分に引き伸ばしたような感じ。しかし、中だるみはまったくなく、一気に見させてしまう。さすがリドリー・スコット。すばらしい。

 とにかく戦闘シーンの臨場感がすごい。米軍がモガディシオのホールワディッグ通りに突入してから、一時たりとも目が離せない。逃げる一般人に混じって、数えきれないほどの民兵がいる。子供まで銃を取り立ち向かってくる。四方八方から雨あられのように降り注ぐ銃弾とロケット弾。米軍兵士達は墜落した2機のヘリまで辿り着くために、迷路のようなモガディシオのダウンタウンを駆け回る。時には相打ちになりそうになり、時には機銃掃射から逃げ惑い、時には見捨てられたことに気づいて味方を追う。あらゆる通りからアリの子のようにわき出してくるソマリア民兵。車両部隊は機銃掃射にあい、乗員は次々に負傷し、壊滅寸前になる。息詰まるような緊張感と、絶体絶命の危機感。ラストで戦闘区域から走って逃げ出すまで、とにかく息を詰めて見つめてしまう。あまりカット割りをせず、カメラを長回しにしているせいもあるのだろうが、とにかく戦闘シーンのリアル感は「プライベート・ライアン」に勝るとも劣らない。昼間の黄色い色彩、夜間の緑で統一された色彩もよい。

 この映画のいいところは、極めてドキュメンタリータッチに作られているということだろう。当初、ソマリア民兵をなめまくっていた米兵たちは作戦に失敗して惨めなまでに逃げ回るし、次々に負傷者が増えて身動きが取れなくなる。いったいなんのための作戦なのか?この戦争に正義はあるのか?ソマリアの内戦に命がけで干渉する意味は?リドリー・スコットの問いはあまりにも明快だ。アメリカの正義を美化するような映画ではなく、むしろ「プラトーン」のように「振りかざした『アメリカの正義』は果たして正しかったのか?」と問い掛ける映画だ。リドリー・スコットと原作者マーク・ボウデンの一応の回答はラストで明かされる。「誰もヒーローになどなりたくはない。ただ、結果的にそうなる場合があるだけだ」と。

 ストーリーらしいストーリーはない。作戦が始まり、大勢の負傷者を出して終了するまでを淡々と描いている。が、それを差し引いても戦闘シーンのド迫力には高い評価を与えられる。主役のジョシュ・ハートネットも「パールハーバー」の時はへチョイ3枚目役だったが、ここではチームをまとめるリーダー役として存在感抜群。青臭い感じもせず、なかなかいい。脇を固める(というかジョシュは主役というほどの扱いでもなく、ほかのキャラクターも同じくらいに比重が置かれている)トム・サイズモア、ウィリアム・フィシュナー、ユアン・マクレガーらもそれぞれにいい味を出していてよろしい。そうそう、オーランド・ブルーム(「ロード・オブ・ザ・リング」のレゴラス役)がチョイ役で出ていた。

 ストーリーにひねりがないという点で少し減点したが、映像、音楽、息もつかせぬ展開、見終わった後の充足感と、極めて高い評価を与えることができる。大して期待していなかったが、高得点をつけることにした。ぜひ映画館で見て欲しい1本だ。

「ビューティフルマインド」(2押忍・ネタばれあり)
 今年のアカデミー作品賞を受賞。経済学を学んだ人なら一度は耳にしたことがある「均衡理論」の生みの親にしてノーベル賞学者のジョン・F・ナッシュ・ジュニアの生涯を描いた作品。見たあとは肩透かしを食らったような気分でいっぱいになるが、あとからジワッと利いてくる。

 ナッシュはプリンストン大学大学院でも一二を争う天才研究者。授業に出ないうえ人付き合いが極めて悪く、変人として知られている。友人はルームメイトのチャールズだけ。ナッシュは世界を支配するような画期的な理論を追い求め、すばらしいひらめきを得て経済学の定説をくつがえすような理論を発明する。この研究が評価され、ナッシュはマサチューセッツ工科大学のウィーラー研究所に職を得た。ある日、国防総省のパーチャーという男が訪ねてきた。アメリカ国内で活動するソ連のスパイが、互いの連絡のために使っている暗号を解読するように依頼してきたのだ。ナッシュは天才的な頭脳を駆使して、雑誌や新聞の中から様々な暗号を拾い出し、解読していく。やりがいのある仕事だった。一方ナッシュは研究所の聴講生アリシアと恋に落ち、結婚。幸福な日々が訪れたようにみえたが、国防機密に関する仕事は巨大なストレスとなり、徐々にナッシュの精神をむしばんでいった・・・。

 実はナッシュは大学院時代から精神分裂症にかかっており、友人のチャールズも、パーチャーも、暗号解読の仕事も、すべてナッシュの妄想が作り上げた幻覚だった。妄想がひどくなったナッシュは強制的に精神病院に入院させられる。退院するも幻覚は治まらない。アリシアの懸命な看護を受けながら、母校プリンストン大学で一からの出直しを試みるナッシュ。授業を受け、図書館で数学の研究に没頭するうちに長い長い月日が過ぎた。若い学生相手に教鞭を取るほどに回復し、それなりに人付き合いもできるようになった。すっかり年を取ったナッシュに、ノーベル賞受賞の朗報がもたらされる。

 ・・・とまあ、こんな感じのストーリー。見に行く前は上記の二段落目までのストーリーしか耳にしていなかったが、実際に見てみると全然違う映画だった。天才数学者の闘病記録。見終わってから思い起こしてみれば、ナッシュとアリシアのラブ・ストーリーであり、ナッシュの「自分探し」(まあなんと陳腐な書き方)の物語でもある。自信過剰で孤独な研究者が栄光を勝ち得るが、精神を病んで廃人寸前になりながらも、妻の懸命な看病のもと、社会との関係を修復していく。数学を信頼しながらも、最終的にナッシュは「真の理は愛のなかにある」と悟る。彷徨する孤独な魂が、確固たる愛に支えられて、平安の境地に辿り着くまでを描いた感動作。エンディングで最愛の妻の肩にコートをかけ、いまだに見える幻の友人達に見送られて帰路につくナッシュの姿はなかなか感動的だ。しかし。

 見終わった直後は、正直なところ「なんじゃいこりゃあ!」とうめきたくなった。ちっともいい映画だとは思えなかったのだ。なんでアカデミー賞作品賞なの?????とそれこそ疑問符が5つくらいつくような気分になった。だって、序盤は野心あふれる若き天才数学者の成功の話で、中盤は「現実か、妄想か?」のトリック映画で、ラストは愛と再生の感動物語なんですよ。いったいどこに重点を置いて見たらいいのよ、どこが一番見せたいのよ!(もちろん終盤なのだが)と混乱する。特に中盤の印象が強いので、ラストではもう一発どんでん返しがあるのかなと期待してしまう。が、もちろんない。ナッシュが「愛こそ真理」みたいなことを言って終わっちゃうわけだ。中盤の印象が強いというのは、ナッシュの主治医として登場するローゼンという医師があまりにもうさんくさいから。中盤で「ナッシュの現実には妄想が多分に含まれている」と分かるので、「バニラスカイ」みたいに実はローゼンはソ連のスパイでした・・・というようなどんでん返しがあるんじゃないかと思ってしまう。で、これをずーっとラストまで引き摺りながら見てしまったわけだ。それで、ラストは肩透かしというか、なんだ、すんなりと終わってしまうの?と思ってしまう。感動にひたる余韻もない。

 終わってみて、こういう映画なんだと思って思い返せば、感動的なストーリーだったと思える。多分、もう一度見たらエンディングで泣けるかもしれない。ただ、変人のナッシュがずっと古い友人達に愛されているのは何だか不自然な感じがした。アリシアという献身的な妻がいたせいだろうが、なぜこんな変人が友人たちに見放されないのか不思議だ。少なくとも学生時代のナッシュはすごく嫌なヤツだ。

 「アポロ13」などでたっぷり実績を積んできたロン・ハワードなので、映像の作りやカメラワークは実にうまい。ナッシュの精神状態に応じて画面の色調が暗くなったり、明るくなったりするあたりは絶妙だ。ただ、ソツがないという印象が先行した。もともとそんなに突飛な演出をしたり、奇抜なカメラワークをする監督ではないので仕方ないのかもしれないが、不満もないけど突き抜けるものもないのも事実。

 ラッセル・クロウはナッシュの学生時代から70歳代までを熱演。神経質に額に手をやる演技や、少しクセのある歩き方など、役をしっかりと研究して演じていることはよく分かった。変化に乏しい困った顔で、よくここまで頑張ったと思う。「グラディエーター」や「L.A.コンフィデンシャル」ではあまり知的な印象を受けなかったし、ただのタフガイ俳優かと思っていたが、予想以上に知的な演技派だ。アカデミー賞主演男優賞は逃したが、受賞してもおかしくない名演技。ナッシュの変人ぶりを遺憾なく演じきったが、気になったところもある。前述したように、変人ナッシュがなぜ友人達から見捨てられないのか?これは、ナッシュが変人ながらも純粋な魂の持ち主(事実、アリシアはその点に魅かれたわけで)であることに原因があると思う。しかし、ラッセルは変人ぶりは演じられていても、このピュアな部分というのは出し切れていなかったように思う。
 本作のもう一人の主人公アリシアには、かつて美少女ぶりで一世を風靡したジェニファー・コネリー。うーむ、あのぽっちゃり巨乳の美少女がこうなるとは・・・。熱演ぶりはよく分かるのだが、個人的にはこのキャスティングはいただけない。この映画のキーポイントとして、アリシアの献身的な愛があるのだが、どうもジェニファー・コネリーって冷たい感じがする。ナッシュに拒絶され、深夜のトイレで泣き叫ぶシーンは良かったが、もう少し包容力を感じさせる俳優を起用したほうが良かったのではないか。メグ・ライアンとかさ。ラストの老けメイクはデヴィ夫人みたいで怖かった。役柄との違和感があり、どうもいただけない。ジェニファー・コネリーがノドに刺さった小骨みたいに気になって、エド・ハリスやポール・ベタニーの熱演がかすんだ。ローゼン役のクリストファー・プラマーもアヤシイ雰囲気で役柄とイメージが違う。ローゼンって名前もドイツ臭くて嫌だ。

 見ている最中は違和感バリバリの変な映画。あとで頭を整理しないと、どこがいいのかよく分からない。まああまり焦って見に行く必要もないでしょう。つーか、別に映画館で見る必要もないと思う。ビデオになってから深夜にこっそり一人で楽しむ映画かもしれない。正直、アカデミー賞を受賞していなければ、ただの映画だったと思う。これなら「ロード・オブ・ザ・リング」の方が大作感があったし、分かりやすくて良かった。ニュージーランドのカルト監督なんぞにアカデミー作品賞なんかやるか!スピルバーグのドリームワークスにアカデミー賞やっとけ!ってな思惑がミエミエで、とても嫌な感じ。それでなくとも今年のアカデミー賞はクソ面白くない「トレーニング・デイ」のデンゼル・ワシントンに主演男優賞をやったり、主演女優では同じく黒人のハル・ベリーが受賞したりして、政治的?な臭いがプンプンして嫌な感じだった。ラッセル・クロウの演技が「レインマン」のアル・パチーノばりによかったことで1ポイント。ソツがないという点にイヤミでもう1ポイント。ちなみに原作は面白そうな感じがする。

「パルムの樹」(大目に見て1押忍)
 「ロボットカーニバル」のなかむらたかしが構想10年、制作期間5年をかけて完成させたアニメ大作。う〜む。正直なところ、もう0押忍にしてしまおうかと思ったんだが。

 天、地上、地下の3部分で構成される異世界。パルムは、学者フォーが病に倒れた妻シアンを元気つけようと作ったロボット。シアンの死後、パルムは完全に心を閉ざしてしまっていた。そんなある日、フォーの家に地下世界の女戦士コーラムが逃げ込んでくる。地下世界は崩壊の危機に直面していて、コーラムはその危機を回避すべく、天界から万物のエネルギーの元といわれるトートの卵を持ち帰ってきたのだ。しかし、フォーの家で力尽きたコーラムは、フォーとパルムにトートの卵を託して姿を消す。フォーはパルムの体内に卵を隠し、地下世界に旅立たせた。旅の途中、パルムはシアンによく似た少女ポポに出会う。母親に虐待され、愛に飢えていたポポを守りたいと思うパルム。パルムは地下世界を治めるソーマに会って、ポポのために人間にしてもらおうと思うのだが・・・。

 もともとなかむらたかしは作画マンなので、ストーリーがどうこう言うのは間違っているのかもしれない。個人的にはなかむらが作画監督を務めた「迷宮物語」や「ロボットカーニバル」は好きだ。それでちょびっとばかり期待して見に行ったのだが。しかし、これではなあ。先にほめるとこを列挙しておこう。まず絵。ほとんど(完全に?)CGはなしの映像はとにかくクオリティが高い。空中浮遊植物が漂う砂漠や、ファンタジックな町並みも丁寧に描かれていて好感が持てる。全編を貫く電波楽器オンド・マルトノの調べは、間違いなく癒し系。うん、ほめるところは以上。

 ダメなとこ。ストーリー。・・・これに尽きるだろう。パンフでなかむら本人が「テレビシリーズで」と話しているように、もとはもっと長いスパンでやることを考えていたストーリーだと思われる。それを肝心なところだけ切り出してくっつけたような感じ。シーンごとの転換が急で、キャラクターたちの精神状況がこっぴどく変わる。そのせいで、キャラクターたちがむちゃくちゃエキセントリックかつヒステリックに思える。いや、そもそもパルムもポポもコーラムもかなり精神的に屈折したキャラクターなのだが。途中からパルムはコーラムの影響を受けて、ますます精神が破綻していく。碇シンジが気が狂ったようなキャラクターだと思ってくれればいい。ポポも包容力のある母性的なキャラクターなのか、それとも引きこもり気味の精神不安定少女なのかまったく不明。最後までキャラクターのアイデンティティが崩壊したような雰囲気でストーリーが終わる。そんなわけだから、もともとぶっちぎれ気味のストーリーが、ますますぶっちょんぎれ状態に思われる。これ、最悪。

 さらに、舞台設定が難解。天、地上、地下世界の関係はともかく、クルップの樹の位置づけやソーマとは何なのか?ラーラとは?トートの卵は本物だったのか?なぜ肝心なところでパルムは樹に戻りそうになったのか?とか引っ掛かることしきり。これももっと長期スパンでやろうとしていたことを、無理やり2時間強に詰め込んだ結果だと思われる。だが、2時間強の映画にした時点で、もっと余分なものをカットできなかったのか。とにかく煩雑で、スムーズにストーリーに入り込めない。

 まとめられないことはないのだ。シアンの愛を受けて育ったパルムは、シアンの死を受け入れられずに自閉症になる。しかし、フォーの死で自立せざるをえなくなる。ポポに出会ったパルムは、ポポとシアンが別人であることを認識し、シアンの死をようやく受け入れる。そして、改めて自分に愛を注いでくれたシアンによく似たポポに好意を抱く。一方、母親に虐待され、愛に飢えて育ったポポは、パルムに必要とされることで初めて自己を確認する。すべての草木や動物に愛をそそぐポポに対し、嫉妬心から激怒するパルム。パルムは愛を受けた記憶はあるが、愛を与えた記憶はなく、自分以外のものに愛が向けられることが理解できない。そんなパルムを、必要とされているから拒否できないポポ。ポポと一緒にいるためには、機械人形ではなく、人間になる必要があるという妄想に取りつかれるパルム。ここに、ポポと同じように愛に飢えて育ったコーラムの亡霊が重なり、パルムの「人間になりたい妄想」は激しく燃え上がる。ラストでは、コーラムとパルムの妄想が実体化してカタストロフに陥るが、ポポの愛がパルムを目覚めさせる。愛を受けたことはあるが、ここで初めてパルムは愛を与えることを理解する。愛を与えるためには、人間になる必要などない。心があれば、愛を与えることは可能だ。妄想から脱出したパルムは、妄想から脱しきれないコーラムを慰め、コーラムの亡霊も浄化される。・・・とまあ、こういう話だろう?

 それをまったくうまくまとめきれていない。もうとにかくハチャメチャだ。頻繁にモノローグが挿入され、それぞれのキャラクターのそこに至る心情を説明しようとするのだが、もうバンバンとモノローグばっかりで、逆にイライラする。当然、モノローグのたびにストーリーの流れは中断される。脚本もなかむらだが、誰か目を通して文句をつけなかったのか。何人かで検討しながら制作していれば、こんなボロボロのストーリーにはなっていないだろう。つーか、構想10年制作期間5年もあれば、もっときちんとまとまっていて当然。この点でプロ失格。前述したようにキャラクターがみんなトラウマだらけのイカレキャラなので、感情移入もまったくできず、ストーリーは完全に観衆を置いてけぼりにする。

 見ている最中から散々思ったのだが、もしかしたらネタ映画なのかもしれない。ラストはまんま「AKIRA」だし、ポポの性格は極めてナウシカ的。ナウシカといえば、ラストでボーラという生物がワラワラ集まってくるところは、完ぺきなオームのパロディ。パルムの「ボクが、ボクが」という自己偏愛かつマザコン(ちなみにポポもマザコン、コーラムは極度のファザコン)で偏執的な性格はエヴァの臭いがプンプンするし、母親(みたいなもの)のシアンが精神を病んで死んだというところも、ちょっとエヴァ(ひいては初代ガンダムか)に通じるよな。ボーラはまんまムーミンのニョロニョロで、ラーラはそれこそ「AKIRA」のアキラみたい。ああ、そうそう。ポポはナウシカであるのと同時に、未来少年コナンのラナでもある。やたらと部屋に投げ込まれたり、少年におんぶされるあたりなんてそのまんまだ。もうパクリ臭い演出が多くて、マジで作ったのか疑いたくなる。

 一部では造形や演出がグロくて、「下手なホラーより怖い」と伝え聞いていたが、確かに映像はともかく、サイコスリラーにはなりそうな感じがした。それくらい、いろんな意味で痛い映画だ。

 映画館では今週末で上映切り上げ。ビデオ?見なくていいでしょう。とにかく、まずストーリーがつまらないのだ。そのせいで、すばらしい作画も音楽もかすんでしまった。絵のレベルの高さに免じて1押忍のみ。

「ロード・オブ・ザ・リング〜THE FELLOWSHIP OF THE RING」(次回作への期待を込めて4.5押忍)
 「あの『ハリー・ポッター』より面白い!」「アカデミー賞有力候補!」の触れ込みで大々的に封切られたファンタジー超大作。今回は3部作の第一部で、このあと「THE TWO TOWERS」「THE RETURN OF THE KING」へと続く。すでに3本すべて撮影は終了しており、これから1年に1本ずつ公開の予定。3本分を15ヶ月で撮りきり、製作費は総額2億7千万ドル。1本あたりわずか9千万ドル。現在のハリウッド映画に比べれば、驚くほど安い製作費、短期間の撮影期間と言わざるをえない。

 妖精と人間が混住する世界「ミドル・アース」。ホビット族の村では、ビルボの111歳の誕生日を祝うパーティーが開かれていた。ビルボは若かりし日に冒険の旅の途中、魔法の指輪を拾っており、その指輪の力で長寿を手に入れていた。しかし、気力の衰えを感じたビルボは、自伝を書き上げるために旅に出ることを決意。指輪を養子のフロドに預けて村を去った。ビルボの友人で偉大な魔術師ガンダルフは、その指輪がかつて世界を破滅に導こうとした冥府の王サウロンの指輪であることを突き止める。「この指輪は災いをもたらすに違いない」。ガンダルフの助言に従い、フロドは友人達と指輪を持って旅に出る。サウロンの追っ手ブラックライダーを振り切り、エルフの村にたどり着いたフロドたち。しかし、エルフの賢者たちもサウロンの指輪を持て余す。各種族の代表を集めて会議が開かれ「指輪を冥府の火山の火口に捨てるべきだ」という結論が出る。誰がその大役を担うのか?みなが議論を始めるなか、フロドが敢然と名乗り出た。フロドの勇気に共感した8人の勇者が、彼の旅に随伴することになる。かくして指輪を捨てるための、命がけの旅が始まった!

 原作はD&Dを始め、現在のすべてのRPGの原点となった「指輪物語」(トールキン)。長らく映画化は不可能と言われていたが、ニュージーランドのカルト映画監督ピーター・ジャクソンがついに映画化に踏み切った。その英断にまずは拍手。今回はフロドが旅の仲間を得て、命がけでサウロンの住む国モルドールにたどり着くまでが描かれている。3部作の第1部なので、本来は3部作をすべて見切った時点で結論を出したほうがフェアなのかもしれない。だが、1本として出した以上は、あくまでも1本である。1本の映画として評価すれば、数多くの不満点があり、大目に見て4.5押忍に留めた。

 どこが不満か。まず、旅の動機だ。フロドが指輪を手にし、その本来の持ち主が恐ろしい冥府の王であることを知り、指輪を捨てる旅に出るのが今回のあらすじ。しかし、フロドがなぜ苦難の旅に出るのか、その動機がよくわからない。「誰かがやらなきゃいけない」と思って指輪を手にしたことは分かる。が、道中で仲間が傷つき、倒れていくたびにフロドは何度も「こんな指輪さえ手にしていなければ」と思い悩む。これがおそらく第二部になれば「ボクがやらなければ」という強い使命感に変わっていくのだと思うが、第一部では最後までウジウジと悩んでいて、じゃあ指輪をその辺に捨てて村に帰ったらどうだ!と突っ込みたくなる。イライジャ・ウッドの四六時中困っているような顔もそれに拍車をかける。

 続いて仲間になる動機だ。ガンドロフはフロドの古い友人だが、どうも胡散臭い。フロドに心配をかけないようにと気を使っているのかもしれないが、すぐにフロドに黙って行動するのはどうか。本当に友人なのか?と疑ってしまう。フロドとサムの関係も良く分からない。サムとフロドは親友らしいが、なぜサムが下僕のように振る舞うのか作中だけでは不明。むしろピピンやメリーとフロドの関係の方が自然に見える。そしていつの間にかパーティーに参加し、いつの間にかリーダーになっているアラゴルン。王の末裔ということは分かるが、それだけでなぜリーダー格に収まっているのか?あまりにも説明不足。そしてとってつけたようなアルウェンとの関係。これならまだ野心に燃えたボロミアの方がキャラクターとしては親近感が湧く。

 レゴラスとアラゴルンの関係も謎だ。最初の会議のシーンで、レゴラスをアラゴルンがたしなめる場面がある。おそらく世界を放浪しているアラゴルンはレゴラスと旅をともにしたことがあるのだろう。そのなかで、レゴラスのアラゴルンに対する尊敬の念も生じたに違いない。しかし、この点も作中では説明不足。ギムリがドワーフ族ではどれくらい偉いのかも謎だし、ギムリとレゴラスの絡みがもっとあってもいいのではないかとも思う。エルフの女王ガラドリエルの存在も不自然。果たしてあれでフロドを勇気づけられたのか?むしろ敵はあらゆるところにいるということを示しただけではないのか。その証拠に、ロリアンをあとにしたフロドは必要以上に用心深くなっている。

 大作を3時間に詰め込んだのだから仕方ないのかもしれないが、それにしてもキャラクターがいつのまにか仲間になり、そこそこ活躍し、適当に死んでいく。「ハリー・ポッター」ほどキャラクターに存在感がなく、思い入れもできない。とにかくこの点が気になった。

 映像面についてはかなり上質の部類に入る。絵本からそのまま抜け出したような牧歌的なホビットの村の造形はすばらしい。しかし、ここからパワーダウンしていくのだ。「ハリポ」では徐々に映像が豪華になっていったが、こちらは最初がすごく、あとになるにしたがってつまらなくなっていく。裂け谷もすごいが、これはどこかで見たすごさだ。圧倒的なリアル感には欠ける。続く雪山のシーンももうひとつ迫力に欠け、鉱山のシーンは「スターシップ・トゥルーパーズ」かと思った。ロリアンの森のシーンは、ストーリーを進める上で必要なのかどうか疑問が湧くくらい不自然(ボロミアの野望がかいま見えるという意味では必要なのだが)だし、ラストの湖畔の戦いもアラゴルンが強すぎて興ざめする。カメラワークにも工夫がない。いったいどうしたらいいんだ。

 それでもアクションシーンはそれなりに迫力があるし、全編ニュージーランドで撮影された雄大なシーンの数々はかなり上級のレベルに入る。オークやウルク=ハイらのモンスターも存在感があり、トロルの造形はコミカルな「ハリポ」のそれよりも良かった。圧倒的なブラックライダーの怖さもマル。3時間を2時間強に感じさせるテンポのよさにも合格点を与えてもいいと思う。一話完結の「ハリポ」と比べてはかわいそうだと思うが、それでも比べずにはいられない。キャラクターの存在感、ストーリーの面白さ、映像のインパクトを考えれば、「ハリポ」以上の評価はできない。少なくとも今回だけでは。第3部まで見れば、意見が変わるかもしれない。本来は3押忍くらいにしておきたかったが、とりあえず「次が見たいな」と思ったので、次回作への期待感も込めて4.5押忍。

 余禄。レゴラス役のオーランド・ブルームに要注目!その甘いマスクもさることながら、機敏な身のこなし、やたらとカッコいいアクションシーンと、これは相当な掘り出し物とみた。舞台俳優らしいが、これからハリウッドでも大ブレークするだろう。はっきり言ってこのパーティー、レゴラスがいないと全然ダメだ。アラゴルンとボロミアは剣の腕がたつだけだし、ギムリも戦闘でしか役に立たない。ホビット4人は言うに及ばず。ガンダルフは凄い魔法使いらしいが、活躍するのは一度だけ・・・ときている。目、耳が利き、予感もよくあたり、弓の名手のレゴラスがいなければ、このパーティーはすぐに壊滅しそうだ。俺がサウロンならば、まずはレゴラスを殺す。

 結論。とりあえず映画館で見たほうがいい。ただ、それほど急いでみる必要はないと思う。少なくとも2時間も待つ甲斐はない。

「ラットレース」(4押忍)
 いやー、懐かしい。20年ほど前、まだボクが少年だったころ、こんな映画はゴロゴロあった。「キャノンボール」を地でいくドタバタナンセンスギャグ映画。それもそのはず、撮ったのは超バカ映画「裸の銃を持つ男」のジェリー・ザッカー。面白くないわけがない。

 ラスベガス。なんの関係もない8人の男女が、たまたまスロットで手に入れたラッキー・コイン。コインは、カジノを経営する大富豪が用意した招待状だった。彼らは大富豪から、200万ドルを賭けたレースへの参加を持ちかけられる。ルールは簡単。どんな手段を使ってもいいから、とにかく早くニューメキシコまでたどり着いた人の勝ち。突然の話に戸惑う8人だが、200万ドルの賞金に目を奪われ、次々に参加を決意する。仁義なきレースが、いま始まった!

 あとはもう絵に書いたようなドタバタ劇。むかし「キャノンボール」というクソ面白い映画があった。金と名誉を賭けて、命知らずのレーサーたちがアメリカ大陸横断レースに挑戦するドタバタギャグ映画だった。もうまさにこのノリ。いかにも「笑えよ」といわんばかりの過剰な演出はなく、あまりドハハと笑わせる映画ではないが、ジワジワと利いてくる。ラストはこじつけたようなハッピーエンドなのだが、これがまた文字通り無理やりこじつけたようなエンディングで、感動する前に笑ってしまう。

 出演者がなかなか豪華。生き別れの娘と再会したばかりの母親にウーピー・ゴールドバーグ、やけにノリノリな謎のイタリア人にローワン・アトキンソン、どこまでもツイてないNFLの審判にキューバ・グッディング・Jr.(今までチョイ役ばっかりだったのに、初めて中心キャラだ!)、そして大富豪に「モンティ・パイソン」のジョン・クリース。むちゃくちゃ面白いメンバーだが、金がかかっているのはウーピー・ゴールドバーグだけ。これまた怪しい人の役(ものすごくインパクトに残るチョイ役)で、キャシー・ベイツが出てた。この怪しさ、このしつこさ。最高です。
 中でもキューバ・グッディング・Jr.がいい。砂漠に取り残され、慌てふためくシーンはなかなか秀逸。ようやくドライブインにたどり着いて水にありつくシーン、バスの運転手から制服を強奪するシーンはかなりイイ。ウーピーはやや抑え目。キレっぷりが最高だったのは、途中からレースに参加する女性パイロット役のエイミー・スマート。ちなみにローワンはやっぱり「Mr.ビーン」だった。この人は何をやってもビーンに見えてしまう。救急車のシーンはそのものだ。

 こういう複数人数のキャラクターが同時進行的に登場する(しかもそれがコメディの場合)映画では、よくシーンごとにぶっつりとリズムが途切れてしまいがちだ。そのせいで、すさまじく陳腐な作品という印象を受ける場合が多い。しかし、この映画はシーンとシーンのつなぎがうまく、ぶっつりと途切れる「断続感」はまったくない。無理やり笑わそうという過剰な演出がハナにつくこともなく、適度に下ネタ、ブラックジョークも交えて、ラストまで一気に見させてくれる。きわめてナンセンスすぎるため、癒しを求めてこの映画を見たら、逆に腹が立つかもしれない。心にゆとりを残した状態の方がいい。個人的には太っちょファミリーと、ピアスだらけの弟が笑えた。バービー博物館は最高の見せ場だ。

「ヴィドック」(2押忍)
 「デリカテッセン」「ジャンヌ・ダルク」などの特殊効果を手がけたピトフことJ・C・クトーフ監督のゴシック・サスペンス。面白くないと断言はできないが、大してプラスすべき点もなく、2押忍にとどめた。

 打倒・王政に沸く1830年のパリ。謎の連続殺人犯を追っていた私立探偵ヴィドックは、犯人を追いつめるも格闘の末、ガラス工場の炉に落ちて死亡する。相棒のニミエが失意に沈んで酒を飲んでいると、ボワッセという若い作家が訪ねてきた。ボワッセはヴィドックの伝記を書いており、自分の手で犯人を探しだして敵を討ちたいという。事件の関係者を尋ね歩き、真相に近づいていくボワッセ。しかし、関係者や証人が次々に殺されていく。事件の影にちらつく「鏡の仮面をかぶった男」とは?そして真犯人は・・・!

 CF、特殊効果出身のピトフらしく、前編デジタルカメラで撮影され、CGでバリバリに装飾されている。騒乱のパリのようすや、暗雲立ちこめる空、燃え上がる炎など、ここというところには必ず特集効果が施されている。鏡の仮面の男の動きもかなり手が入っており、京劇も真っ青なアクロバティックな動きを見せてくれる。ただ、それがいいかというと話は別。むしろうざったく、やたらとアップが多いカメラワークもゴミゴミしすぎていてよろしくない。モブのシーンも人が多すぎ。映像面でおもしろいことをしようとしたのは分かるが、成功はしていない。

 で、ストーリーは面白いのかというと、そうでもない。ヴィドックというのは、フランス人なら誰でも知っている、世界初?の私立探偵。もともと無実の罪で逮捕され、脱獄。何度も逮捕されて脱獄を繰り返しているうちに警察、暗黒街両方に顔が利くようになり、やがて警視総監のもとでスパイとして働くようになった。しかし政情不安のなかで解雇され、独立。私立探偵を開業・・・という経歴の持ち主らしい。「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンのモデルだそうな。日本で言えば明智小五郎くらいの有名人か。これをフランスのベテラン俳優ジェラール・ドパルデューが存在感たっぷりに演じている。ぶっといモミアゲが強烈だ。
 鏡の仮面の男のねらいは何か?というのが分かった時点で、すぐに犯人が分かってしまう。ラストは一応、含みを持たせて終わるのだが、ストーリー自体には何も驚きはない。コンパクトにまとまっていて、オドロオドロシイ雰囲気はなかなかよろしい。中世版「セブン」といった趣か。しかし、そこまで。

 映像面で頑張った形跡があるという点に1ポイント。J・ドパルデューの渋さに1ポイント。そこまで。

「シュレック」(2押忍)
 最近のCGアニメーションはスゲエなあ!と感嘆することは間違いない。肌の質感の表現なんてすごいぞ。しかし、ただそれだけ。ストーリーもつまらないことはないが、すべて予想通りに展開する。オチも予想通り。細かいギャグは笑わせてくれるが、悲しいかなそこまでの映画。

 シュレックは緑色の肌を持つ醜い怪物(オーガ)。森の沼に一人で住んでいる。一方、ファークアード卿は完璧な街造りを目指すチビ助。ファークアードは、おとぎ話のキャラクターが自分の領地に住んでいることが我慢できない。七人の小人や魔法使い、妖精を次々にとらえて、シュレックの住む沼に追放した。気楽な生活をぶち壊されたシュレックは、ひょんなことから知りあったしゃべるロバ・ドンキーを従えて、ファークアードに直接掛け合うべく、城へ赴く。ファークアードは「ドラゴンに捕らわれたフィオナ姫を助け出せば、沼からおとぎ話のキャラクターたちを追い出してやってもいい」と提案。お安いご用とドラゴンの棲む山に出かけるシュレックだが・・・。

 あとは予想通りに進む。シュレックは怪力にモノを言わせてフィオナを助け出す。フィオナは外見とは違い、本当はやさしい心を持つシュレックに魅かれていく。一方、自分の外見を気にしないフィオナに、シュレックも魅かれていく。しかし、ファークアードはフィオナを妻にすべく差し出すように言う。一度は「醜い自分とはつり合わない」とフィオナをファークアードに差し出すシュレックだが、ドンキーに叱責されてフィオナを奪回すべく、城に向かう!ところが、フィオナには恐ろしい呪いがかけられていて・・・というネタでストーリーはオチる。

 ものすごくコンパクトにまとまっていて、面白いことは面白いんだけど、何一つ突き抜けるものはない。映像はすごいけど、CGならなんかもっとすごいことをやってほしいとも思う。とにかく、すべてにおいて予想通りの映画なのだ。これではねえ。

 ちなみに声優陣の奮起ぶりはすごくよかった。シュレックには「オースティン・パワーズ」シリーズのマイク・マイヤーズ。シュレックがドクター・イーブルのクセをやったりするお遊びもある。ドンキーにはエディ・マーフィー。止まらない弾丸トークは絶妙。なかなかの歌声も聞かせてくれる。フィオナ姫には最近とみに芸達者になったキャメロン・ディアス。ここでも芸達者ぶりを披露していて、なかなかよろしい。ちなみに日本語版ではシュレック=ダウンタウンの浜ちゃん、ドンキー=エディ・マーフィーの吹き替えをやっている山寺宏一、フィオナ姫=藤原紀香、ファークアード卿=伊武雅刀。こちらも一度聞いてみたい気はする。

「メメント」(3押忍)
 困った。高い評価を与えてもいいんだけど、そこまでのパワーがないのだ。インディーズ映画なので仕方ないのだが。そういうわけで中途半端な3押忍の評価を与えたが、個人的には4.5押忍くらい与えてもいいかな・・・と思う瞬間もある。映画はなんにも考えずに見たい!という人には向かない。主人公と一緒になって、真実にチャレンジしようという姿勢が必要な映画だ。

 レナードの最後の記憶は、2人の男に妻をレイプされ、殺されたということ。その現場を目撃し、犯人に頭を強打されたショックで、レナードは10分間しか記憶が持たない前向性健忘という記憶障害になってしまう。10分たつと、自分が何をしていたのか忘れてしまうので、レナードはポラロイド写真を撮り、写真にメッセージを書き込んで10分後の自分にメッセージを残す。もっと大切なことは、自分の体に入れ墨として書き残す。ポラロイド写真と入れ墨を手がかりに、レナードは妻を殺した犯人を追う。

 物語はレナードの記憶の通りに進む。いきなりレナードはテディという男を殺している。手がかりにしたがって進んできた結果、この男を殺すことになったようだ。観客にはプロセスはまったく分からない。やがて画面が暗転して、レナードの「一つ前」の記憶がスクリーンに再現される。観客は、テディを殺すことになったプロセスの一部を知る。ストーリーが進むにつれて、レナードがなぜテディを殺すに至ったのか、テディは本当に妻を殺した犯人なのかが、明らかになる。普通、物語は原因からスタートして結果へと至るが、この作品は結果からスタートして原因に至るわけだ。主人公が回想する形で進む映画は多いが、この作品は回想ではなく、ほぼ完全にストーリーは逆行している。観客は頭を整理しながら見なければ、なぜレナードがそうなったのか、まったく分からない。
 この構成の妙がこの映画の最大の売りだ。面白い。最後まで、事実は闇のなか。途中で何かおかしい!これはおかしい!と何度も引っ掛かりながら、ストーリーは進む。謎がキッチリとパズルの最後のピースのようにはまるのは、本当にラストなのだ。で、ラストではすごいどんでん返しが待っている。そして、そのどんでん返し自体も本当なのか?という疑惑が残るのだ。この後味の悪さ。この点に関しては、まったく新しいタイプの映画だといえる。

 そしてもう一つ、構成として面白い点がある。レナードの記憶は定期的に「飛ぶ」のだが、その「飛ぶ」時に、なぜかモノクロの映像が挿入される。レナードが入れ墨を彫りながら、電話で何者かと話をしている。現在の時点のようでもあり、過去の時点のようでもある。延々とサミーという男の話をするレナード。このモノクロ部分のストーリーは現在なのか、過去なのか?本編とはどうからむのか?という謎も、終盤に解ける。モノクロ部分のエピソードと、カラー部分の本編が、その時点で一点に集約される。この構成の妙!すばらしい。そこで、観客は初めてパズルのピースがそろった音を聞くのだ。

 主人公のレナードに「L.A.コンフィデンシャル」のガイ・ピアース。記憶障害を持つ男の恐怖、悲哀、戸惑いをうまく演じきった。わき役に「マトリックス」「レッドプラネット」のキャリー・アン・モス。監督はこれが2作目の新人クリストファー・ノーラン。難しい原案を巧妙に組み上げた手腕はなかなかのものだし、映像の作りも丁寧。今後が実に楽しみな監督だ。

 評価は分かれると思うが、個人的にはモノクロのエピソードと本編との絡みの絶妙さに脱帽した。もう少し評価を上げてもよかったように思うが、構成以外ではずば抜けたところがないので、このくらいに押さえておく。

「ハリー・ポッターと賢者の石」(5押忍・ネタばれあり)
 「史上最強のファンタジーがやってくる!」という宣伝文句に違わぬファンタジー超大作。へそを曲げて4押忍にしようと思ったが、これといった批判点もなく、むしろ2時間半を一気に見せる映像の美しさ、展開のスピーディーさを評価して5押忍を与えた。大人から子供まで誰もが楽しめる娯楽作品で、ぜひ映画館で見ることをオススメする。

 ハリーは赤ん坊の時に両親を亡くし、意地悪な叔父夫妻に育てられた。従兄にはいじめられ、叔母には小間使いのようにこき使われる毎日。11歳の誕生日が迫ったある日、ハリー宛に不思議な手紙が届く。それはホグワーツ魔法魔術学校からの入学許可証だった。叔父夫妻の反対を振り切って、ハリーは魔法使いの世界へと旅立つ!

 本作では、ハリーの魔法学校での1年目が描かれている。ハリーの両親はかつて暗黒の魔術師ヴォルデモートと戦って殺され、ハリーだけが生き残った。ヴォルデモートはその時にハリーに邪悪な呪いをかけたが、逆にハリーの魔力によって衰弱し、暗黒の森に逃げ去った。そういうわけで、暗黒の魔術師を退散させたハリーは魔術師の世界では有名人なのだ。肩身の狭い居候の身分から、一気に有名人になって戸惑うハリー。ドジだけど憎めないお調子者のロン、ガリ勉少女ハーマイオニーという友人にも恵まれ、ハリーは魔法学校でありあまる才能を遺憾なく発揮し始める。1年生ながらクィデッチという球技のレギュラーに選ばれ、大会では大逆転勝利の立役者になる。やがてハリーは自分の両親について知り、不老不死を約束するという「賢者の石」を巡ってヴォルデモートと対決することになる。

 2時間半にかなり詰め込んだ感は否めない。これだけ詰め込んで、よく齟齬が出なかったものだと感心する。ストーリーは単純明解。善と悪がはっきりしていて、じつに分かりやすい。ハリーを一方的にライバル視する名門出のエリート少年・マルフォイという憎まれ役もいて、キャラクター設定に関してはかなりステレオタイプ。ハリーが叔父、叔母にいじめられて育った割には屈折したところがないのも不思議。細かいところをつつきだせばキリがないが、そういうことを考えさせないくらいシッカリとキャラが立っていて感情移入がしやすく、気にならない。ハリーをはじめ、赤毛にそばかすがいかにも「ドジっ子」という感じのロン、ツンとすました表情がとても愛くるしいハーマイオニーの主要トリオが、これ以上ないくらい魅力的だ。この3人をそろえたスタッフは、近年まれに見るキャスティングを成し遂げたと断言できる。

 脇を固めるキャストも豪華なうえ、みんなすごくはまっている。魔法学校の校長にリチャード・ハリス、ハリーが寝起きするグリフィンヤード寮を担当するマクゴナガル先生にマギー・スミスと、押しも押されぬイギリスの2大ベテラン俳優を惜しげもなく配置。怪しすぎるスナイプ先生にアラン・リックマン(「ギャラクシー・クエスト」、分かりやすいところでは「ダイ・ハード」)、気弱なクィレル先生にイアン・ハート、ほかにもリチャード・グリフィス、フィオナ・ショー、ジョン・ハート、コアなところではウォーウィック・デイビス(「スターウォーズ」シリーズのイウォークを演じた人)とまあすごいキャスティングだ。撮影スタッフもアカデミー賞受賞者、アカデミー賞ノミネート経験者がそろい、猛烈すぎるほどリキの入った映画である。これでつまらなかったら監督は殺されるところだ。

 で、その監督には「ホーム・アローン」のクリス・コロンバス。スピルバーグのもとで脚本を書いていた人なので、映画を面白くするコツは完ぺきにつかんでいる。豪華なキャスト、すばらしいスタッフを手ごまにそろえ、間違いなく面白い映画を作り上げた。おそらく、コロンバスは生涯これを越える作品をつくることはないだろう。それくらい、渾身の1作という気迫が感じられる作品だった。

 映像面もすばらしい。こんな学校なら俺も入ってみたい!と思わせるホグワーツ魔法魔術学校。生徒が一堂に会する大聖堂、雰囲気たっぷりの回廊もいいが、なにがいいって絶妙なライティング。明るすぎず暗すぎず、ちょうどいい光量がそれぞれのシーンを盛り上げる。クィデッチのシーンは特撮がへぼい訳ではないがリアル感がなくてイマイチだったが、普段の生活風景はじつによかった。生徒達のおそろいのマフラーとネクタイ、Vネックセーターにローブという制服も小道具としては完ぺき。序盤に登場するダイアゴン横丁の造形もすばらしかった。この映画は確かほぼ全編イギリスロケのはずだが、アメリカではこの雰囲気は出なかっただろう。

 ストーリーはよくも悪くも驚きに欠けるが、魅力たっぷりのキャラクター、文句なしのセット、絶妙なライティングの映像、違和感のない特撮と、批判すべき点がない。終わった後に、次回作が早く見たい!と思わせる後味のよさも特筆モノだろう。僕は原作は読んでいないが、これはこれで十分に楽しめた。4押忍にしようと思ったのは、ステレオタイプに過ぎるという点と、優等生すぎる映画だという点で減点しようと思ったのだ。しかし、そんなことで減点していては、ほかの映画は点数がつかなくなってしまう。そういうわけでゴチャゴチャ文句を言わないことにした。言わせないだけのパワーと魅力にあふれた映画だ。おそらくハリー役のダニエル・ラドクリフが大きくなってハリーに似付かわしくなってしまう前に「秘密の部屋」「アズカバンの囚人」と立て続けに制作されるだろう。「秘密の部屋」はすでに今秋の公開が決定している。今から実に楽しみ。ハリーの魔法にかかった。近年まれに見るファンタジー超大作として、最高の評価を与える。

「バニラスカイ」(2押忍・ネタバレあり)
 陳腐な夢オチSF。

 デヴィッドは大手出版社のオーナー。父親が築いた大会社のトップに居座り、極上のルックスと有り余るな財力を武器に、何不自由ない生活を送っていた。ある日、ソフィアという美しいダンサーと知りあい、一目で恋に落ちる。魅かれあう二人。デヴィッドが肉体だけを目的に付き合っていたジュリーは、激しい嫉妬の炎を燃やす。ソフィア宅からの帰る途中、ふとしたことからジュリーの車に乗ることになったデヴィッドは、「本気で愛しているのに」とジュリーに激しく責められる。思い余ったジュリーは、車ごと橋から転落。ジュリーは死亡し、デヴィッドも大けがを負う。ハンサムで鳴らした顔には醜い傷がつき、頭蓋骨骨折のせいで絶え間なく頭痛が続く。さらに腕も不自由になったデヴィッドは、再びソフィアに会おうとするが・・・。

 ストーリーはデヴィッドが回想する形で進む。なんらかの事件を起こし、留置所で精神鑑定医の診察を受けているデヴィッド。デヴィッドが語る夢と現実が交錯した体験談が、ストーリーの骨子をなす。デヴィッドはなんの事件を起こしたのか?なぜ精神鑑定を受けているのか?なぜマスクをつけたままにしているのか?いったい何が現実なのか?多くの謎を秘めたまま、ストーリーは終盤へと向けて突き進む。デヴィッドは肝心な部分で記憶を失っており、なかなか真相に行き着かない。ラストでようやく真実が判明するのだが・・・。

 一応、面白いことは面白い。トム・クルーズが「ぜひ」と映画化権を買い取ったのもわかる。が、そんなに面白いか?オリジナル「オープン・ユア・アイズ」を見ていないのでなんとも言えないが、こういう夢オチSFは、きわめてありふれているように思う。虚構の世界のなかで人生の真実に目覚め、厳しい現実世界へ戻っていくという設定も、日本のアニメなんかでは使い古されたパターンだ。デヴィッドが絶頂期にいるときの生活が、やり過ぎなくらい豪華に描かれているだけに、転落してからの人生が引き立って見える。この辺のメリハリの付け方はうまい。現実と虚構が交錯するシーンも、シーンの入れ替えがじつにスムーズで、変に小細工していない点には好感が持てた。ごちゃごちゃしすぎてないという意味では、とても上手に作られた映画だといえる。

 ただ、やはりストーリーは陳腐だ。ラスト近くで、実は現実と思っていたことも夢と思っていたことも、どっちも夢だったということがわかる。冷凍睡眠していたデヴィッドが、150年近く見ていた夢だったというオチだ。実はこれもどんでん返しがあって、それも夢だったというオチになるのだが、この「もう一つのオチ」が途中でわかってしまうのだ。どこか。ヴェンチュラとデヴィッドがエレベーターの中で話しているシーンをよく思い出して欲しい。デヴィッドが死んでいるのなら、冷凍睡眠していても夢を見ることはないはずだ。デヴィッドが死んでいては、そこまでのストーリー自体が成り立たないことになる。また、ヴェンチュラが言うように、ソフィアとの新しい生活が始まるところから夢なのであれば、デヴィッドはいつ死んだのか?ということになってしまう。ならば、このストーリーはどうまとまるのか?答えはひとつ。ヴェンチュラが語っていること自体、ヴェンチュラと話していることすべて、つまり最後に観客が「これが現実だ」と思うシーンそのものが、デヴィッドの見ている「夢」だということになる。果たして、その通りのオチなのだ。救いは、ラストに「デヴィッド、オープン・ユア・アイズ・・・」と呼びかけた人物が誰かということが謎とされたままにされていること。これがなければ、もう本当にがっくりきていることろだ。

 余談。ニコール・キッドマンと離婚したトム・クルーズが、新しい恋人のペネロペ・クロスとこれでもか、これでもかというくらいイチャイチャする映画。そういう意味では「コブラ」よりもタチが悪い。「おたのしみは後で」とセックスを我慢するあたりも、逆に吐き気がするくらいいやらしく感じる。おまえらは「パールハーバー」か!と突っ込みたくなる。まあ、これくらいイチャイチャしてくれないと、あとのデヴィッドの転落ぶりが浮かび上がらないので・・・ね。しかしデヴィッドは転落してもソフィアとイチャイチャしているので、どっちでも一緒か。ここには書ききれないくらい、お遊びにあふれた映画でもあるので、その辺は各人で探していただきたい(「あのビョークに似た女の向こうだ」ってセリフには笑った)。キャメロン・ディアスが相変わらず演技達者ぶりを発揮。カート・ラッセルとともに、主役を食う存在感を醸し出している。ちなみにペネロペ・クロス。確かに美人だが、いつもにこにこしているだけで、表情に乏しい。母国スペインでは大人気女優らしいが、ハリウッドではまだまだという印象を受けた。

 ちなみにこの映画、ポスターに「アカデミー賞有力候補」って書いてあるが、どの部門でやねん。助演女優賞か。助演男優賞か。脚本はダメだし、トム・クルーズもこの程度で主演男優賞はとれんだろう。あとは音響効果か。サントラはかなり豪華だ。

 結論。映画館で見なくてよし。ビデオになってから、深夜にひとりで大して期待せずに見るべし。そういう映画。

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